自分の人生に「師匠」がいるという幸せ -「浅草キッド」を観て-
昨年末、Netflixで公開された「浅草キッド」を観た。北野武原作の映像化で、彼が浅草フランス座でコメディアンとしての修行を始めツービートとして世に出るまでの話を、師匠である深見千三郎との関係性と共に描く。というか、むしろ深見の物語だ。
浅草キッド | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト
深見は「馬鹿野郎」が口癖。粋(イキ)な佇まいで「笑われるな、笑わせろ」というコメディアンとしての心構えを叩き込む。しかし、コントが下火になって行くことでたけしは漫才に活路を求め、師匠のもとを去る。そして、深見は不慮の死を遂げる。
泣けた。私自身のキャリアにも重なる点がいくつもあったからだ。
私は1984年(昭和59年)に広告会社に入った。配属されたのはクリエーティブ部門で社会人としてのスタートはコピーライターとしてだった。これまでのキャリアの中で何人もの師匠がいるが、社会人一年生として基礎から叩き込んでくださった上司のことはとりわけ鮮烈にいつまでも記憶している。
当時のメディアは、いわゆる「4マス」と言われるTV、新聞、ラジオそして雑誌と言うマスメディアだけ。広告ビジネスもシンプルで、コピーライターの修行も先輩について一から教わる徒弟制度が残されていた。私が社会人になって最初にやっていたことは、原稿用紙に「あいうえお」をひたすら書き続けることだった。
その師匠も深見同様に(愛情のこもった)「馬鹿野郎」が口癖。慶応ボーイなのに無骨。それが絶妙に粋な佇まいになっていた。今でも心に刻み付けている社会人としての心構えを教えて頂いた。しかし私は師匠のもとを去り、別の職種にキャリアの未来を見出した。そして、師匠は50代半ばで不慮の事故で亡くなった。
その後、私があるプロジェクトで大きなストレスを抱え弱気になっていた時、夢に出て来た師匠に「馬鹿野郎!」と一喝された。驚いて目を覚ました時、憂鬱な気持ちがすっかり消えていた。
今でも、師匠がドングリ眼で上から自分を見ている気がする。社会人として、人として下手なことはできないと思う。随分、下手なことをして来たけれど。ごめんなさい。
「浅草キッド」には、現在のたけしが師匠の墓参りをする場面がある。その姿を見て、私は師匠の眠る鎌倉霊園へのお参りを、長い間欠かして来たことを思い出した。やはり、自分は人間が出来ていない。
生きて来た中で「師匠」がいるということは幸せなことなんだということを、改めて感じた。Wikipediaで深見千三郎を検索し、その訃報を聞いたたけしが、「俺たちひょうきん族」収録中の楽屋の壁に向かって黙って師匠に習ったタップを踏むくだりを見て、再び泣いた。
ちなみに原作本は廃刊になっているが、フランス座や深見師匠の思い出を綴った「フランス座」という新たな本が2018年に出版されている。
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