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そして心は神秘へ回帰する-「北欧の神秘」展を観て-

家から徒歩圏内にあるからと油断している間に、会期終了間近になってしまったSOMPO美術館「北欧の神秘」展に駆け付けた。

なぜ、北欧に魅かれるのか?いわゆる「欧米」とは異なる独自の魅力を何とはなしに感じるからかもしれない。よくわからないからこそ魅かれる。一言でいえば、展覧会のタイトルにもなっている「神秘性」ということだろうか。

本展は、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの国立博物館からの所蔵品によって、この3か国プラスデンマーク、アイスランドといった北欧の、19世紀から20世紀初頭までの自然と工業化が拮抗していた分岐点の美術を総覧できる内容となっている。

展示は、「序章:神秘の源泉」「1章:自然の力」「2章:魔力の宿る森」「3章:都市」の4章で構成されているが、時代の変遷を反映するように、それぞれの作品の“主人公”は異なる。

1章(自然の力)で紹介される絵画群は、自然が主人公。そのため、ほとんど人間が描かれていない。解説では、高まりつつあったナショナリズムを背景に、主流だったイタリア、フランス、ドイツとは異なる独自性を探求する機運によって、その特徴となる雄大な自然に芸術家たちの目が向けられた、とある。

こちらは<叫び>で有名なエドヴァルド・ムンクの<フィヨルドの冬>という作品。

<フィヨルドの冬>

そのタッチがどことなく浮世絵との類似性を感じる。この時代、他のヨーロッパ諸国同様、北欧にも日本の浮世絵が大きな影響をもたらしていた。特にムンクはパリにも滞在していたことがあり、浮世絵を熱心に収集していたゴッホとも交流があったという。

こちらは<冬の日>。フィンランドの画家 ヴァイノ・ブロムステットによる作品だ。

<冬の日>

この作品が描かれたのは1896年だが、100年以上経ったいま、この場所にも地球温暖化の影響が及んでいるのだろうか。ふと、デンマーク出身でアートを通じて環境変動問題に取り組むオラファー・エリアソンの活動が頭に浮かんだ。時代が変わると共にアーティストの役割も変わる。

2章(魔力の宿る森)は、神秘を謳う本展のクライマックス的な位置づけにある。主人公は、物語の登場人物や想像上の生き物たちだ。自然への憧憬は、目に見えないものへの興味や関心を喚起して神話やおとぎ話を生み出し、そこから自己の内面に目を向ける美術が生まれた。

こちらは<フリチョフの誘惑>という歴史画家として活躍した、スウェーデンの画家 アウグスト・マルムストウリムの作品。

<フリチョフの誘惑>

ノルウェーに伝わる「フリチョフ物語」という物語にヒントを得て描かれているが、第1章の作品に描かれた自然とは対照的な、心象風景・内面としての自然が描かれている。

こちらは<スレイプニルにまたがるオーディンのタピスリー>という作品。

<スレイプニルにまたがるオーディンのタピスリー>

「あれ。これ、どこかで見たことがあるぞ」と考えたら、宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」に登場する、神話を表現する絵画の図柄とそっくりだということに気づいた。

そして3章(都市)では、工業化していく様を描いた絵画が紹介される。ここの作風は、それまでの3章とどこまでも対照的だ。非現実(ファンタジーや自然)から現実の世界へ、主人公もここに来て人間だ。描かれるテーマも、増大する貧困や病といったネガティブなものになっている。

いま、「再魔術化」という概念が見直されている。「われ思う、ゆえに我あり」に代表されるデカルト以来の近代科学や工業化は、産業革命や資本主義を生んで来たが、いま世界中でその限界性が指摘されている。そして、改めて目に見える「モノ」ではなく、目に見えないものに着目することの重要性が問われている。

圧倒的な自然が神秘を信じる心を生み、近代化によってそれらが失われ、人々を苦悩させる。この展覧会がたどる物語は、世界の状況を代表したものだ。そして、ひと回りして神秘へと人々の心は回帰を望んでいる。会期終了間近ということもあり、会場には多くの人が詰め掛けていた。私を含め、人々が北欧へと無意識的に魅かれるのは、このような理由があるのだということに改めて気づかされた。

#北欧の神秘 #SNMPO美術館 #北欧 #再魔術化

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