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それでも文化は生きていく-富山の美術館を訪れて

昨年末、夫婦で富山に滞在した。年が明けた日、大きな災害がほんの数日前に訪れた土地を襲った。連日、被災地の状況が報道される中、旅のブログをアップすることに迷いはあったが、そこで感じた土地に息づく「文化」という名の生命力を伝えることにも何らかの意味があるかもしれない。そのような想いでこの文を綴った。

旅の主な目的のひとつは土地の美術館巡りだった。

富山市では、富山市ガラス美術館と富山県美術館を訪ねた。

富山市ガラス美術館は2015年に開館した、美術館、図書館と富山第一銀行による複合施設「TOYAMAキラリ」の中にある。富山市は「ガラスの街とやま」を掲げ、人材の育成、産業の推進、芸術振興を3本柱に据えているが、この美術館は「芸術振興」のシンボル的な位置づけだ。

館内に入ると、隈研吾氏によって設計された富山県産材のルーパー(羽板)を活用した空間に目を見張る。

(富山市ガラス美術館の内観)

素晴らしいのは、図書館と美術館が一体化した構造となっていること。本の世界とアートの世界が分け隔てなく共存することで、この施設にやって来る地元の人々は本とアートを気軽に越境し感性の間口を広げて行くと共に、地場の産業への知識を身につけ誇りを感じることだろう。そのような巧みな戦略のもとで、圧倒的な空間設計が生まれている。

展示構成は、同館のコレクションを紹介する常設展示室、現代ガラスの巨匠デイル・チフーリによるインスタレーション展示(常設)と企画展示室。私が訪れた時にはアーティスト宮永愛子による「詩を包む」という特別展が開催されていた。

常設展も特別展も見ごたえのある作品ばかりだったが、ほとんどの作品が自然の造形をモチーフとしていたことが強く印象に残った。我々の生活に欠かせない無機質な工業製品が、自然の美しさへと転換する面白さ。人工物と自然という二項対立する要素を融合させるアートやアーティストの力を感じた。特にデイル・チフーリの作品群には、人工と自然というものを超越したイマジネーションを喚起された。

(宮永愛子氏の作品)

あるいは、ガラスアートは「時間を閉じ込める」ことを可能にする。時間は流れる。自然の造形物も時間と共に崩れていく。ガラスアートにはそれらを凍結させ永遠の生命力を与えるような力があることを、改めて認識させられた。

富山県美術館アート&デザイン(Toyama Prefectural Museum of Art and Design)は、富山駅北西部の再開発エリア(富岩運河環水公園)内に2017年に開館した。「アートとデザインをつなぐ」「人々とアートやデザインをつなぐ場」をコンセプトとしている。

(富山県美術館)

私が訪れた時に開催されていた特別展「金曜ロードショーとジブリ展」は満員のため鑑賞できなかったが、コレクション展を鑑賞。

「アートとデザインをつなぐ」の言葉通り、ピカソ、ミロ、ポロックといった現代アートを代表する作家たちの作品、永井一正や亀倉雄策などのグラフィックデザインの巨匠たちのコレクション、あるいは時代をつくった椅子のコレクションが充実しているが、平易な解説やクイズなど子供も興味を持つような工夫が凝らされている。

(ジョージ・シーガル『戸口によりかかる娘』)
(現代アートコレクションコーナーの解説文)
(椅子コレクションコーナーのクイズ)

不思議な魅力を放っていたのが、富山県に生まれた詩人/美術批評家の瀧口修造のコレクションだ。私が訪れた時には、瀧口が自宅で私蔵して来た美術作品や旅先で入手したオブジェの展示が行われていた。

(瀧口修三コレクション展示室)
(瀧口コレクションの一例:マルセル・デュシャン『プロフィルの画像』)

それは、まるで瀧口の脳内を探検するような体験。日本における最初のシュルレアリスム詩人であり、シュルレリスムの普及に努めた脳内空間は、それ自体がシュルレアリスムの作品とも言えた。

この美術館の最も素晴らしい点は、「人々とアートやデザインをつなぐ」体験型の教育プログラムが充実していることだ。その代表的な存在が屋上庭園「オノマトペの屋上」。

デザイナーの佐藤卓氏がプロデュースし「ぐるぐる」「ぼこぼこ」「うとうと」といったオノマトペを体感できる遊具が設置されていて、誰もが童心に帰って楽しむことができる。

(オノマトペの屋上)

ジブリ作品が好きでやって来た家族連れが、同時に現代アートやデザインの世界に触れる工夫が施設全体に凝らされている。ともすれば難解で距離が遠いと思われるアートや、一部のクリエイターのものと思われがちなデザインが身近になることで、人々の感性が育まれ社会が豊かになっていくことだろう。

富山市ガラス美術館と富山県美術館を訪れて改めて感じたことは、そこに住む人や訪れる人たちの感性を自然な形で育み、文化が醸成されていくことの大切さであり、それを実現しようする土地の文化度の高さだった。

さて、訪れた美術館の中で最も感銘を受けたのは富山市と共に滞在した宇奈月温泉のセレネ美術館だった。

(セレネ美術館)

同美術館は、1993年(平成5年)に「黒部峡谷の大自然を、絵画芸術を通して未来へ伝える」を理念として設立され、現代日本画壇を代表する7名の作家(平山郁夫、塩出英雄、田渕俊夫、福井爽人、竹内浩一、手塚雄二、宮廻正明)の作品を展示している。

特徴的なのは、山岳ガイドと画家の協働によってそれらが制作されていること。画家たちは、数十メートルの崖や真冬のマイナス20度という極限の状況で行った取材体験を、作品に叩きつけている。

大部分の作品が「水」をモチーフにしている美術館は、世界にも類を見ないのではないだろうか。だが、テーマは水のエネルギー、水の神々しさ、水(自然)とダム(人工物)との対比、水と岩とのぶつかり合い・・・とすべて異なっている。

美術館の中で敬意を持って紹介されているのが、画家たちの命を守り最適な制作環境を支えてきた山岳ガイドの高嶋石盛さん。彼は開館まもない1994年(平成6年)にヒマラヤで遭難した。画家と山岳ガイドという真逆のような両者の協力なくしては、この美術館も生まれていない。土地ならではの作品群や物語が、この美術館を一層奥深いものにしている。

(宇奈月温泉駅舎と黒部峡谷)

宇奈月温泉駅前にあるカフェのご主人は、今年運行開始される黒部ダムと黒部峡谷鉄道 欅平駅を結ぶ「黒部宇奈月キャニオンルート」によって、土地が活性化することを嬉しそうに話してくださった。

訪れた土地には愛着が湧くし、大きな災害に見舞われたことで一層心が痛む。自分にできることは何だろうと思い悩み、ささやかな寄付しかできないことに忸怩(じくじ)たる思いがある。それでも、ほんの数日だがご縁ができたこの土地を、自分なりに応援していきたいという気持ちが、日々強くなっている。

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#宇奈月温泉  


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