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やめることは失敗ではない

note退会 

noteを始めて今日で7日目。ふと目にとまったハッシュタグが、この記事を書くきっかけになりました。note初心者がいきなり触れる話題ではないのかも知れませんが、以前から考えていたことともからめつつ、短く書いてみたいと思います。

何かをやめること=一時的離脱

やめることは、一旦離れること。

いつのころからか、私の中でそんな定義が出来上がっていました。未来はどうなるかわからないから、再開の可能性はゼロではない。もどる可能性がある以上、一時的離脱、と考えます。

そう考えて暮らした結果、私の中には一時的離脱の山が出来上がりました。これらはざっくり分類され、整理して寝かせてあります。そんな「一時的離脱アーカイブ」を横目に、また新しいことを始める。その繰り返しです。

失敗=獲得経験値がゼロだった時のみ成り立つもの

これも、私なりの定義です。あきらめること、やめてしまうことは失敗には入りません。だって、なにかしら残るから。

そもそも、「あきらめる」とは「明らかにする」が語源だそうです。

つまり、何が起きたのかを振り返る反省会です。いったんあきらめて起きたことを振り返ると、そこには何かしらカケラが落ちています。そのカケラが記憶か記録に残れば、ひとまずオーケーだと思っています。記憶も記録も、経験値ですから。

まとめ

何かをやめることは失敗でも恥でもないです。それはむしろ、目的地に行くために電車を乗り換えるようなもの。だれもが胸をはって当然のようにやっていることです。

noteを始める人がいれば、やめる人もいます。本当の理由はご本人にしかわからないでしょうし、それでいいのだと思います。所属したばかりのコミュニティーから人が去っていくのを見るのは少し寂しいですが、退会されたみなさん、退会されるみなさんには、「いままでありがとうございました」と言いたいです。

すっきりした気持ちでやめられた方も多いかもしれない中、余計な言葉をつづってしまっていたらごめんなさい。またどこかでお目にかかれるのを楽しみにしています。

以上です。読んでいただきありがとうございました!

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