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近況レター
お元気ですか。
わたしはなんとか理由を探して元気なつもりで生きています。
繁殖以外の目的を持つようになった人間は、自分自身はどのように生きていくべきかの命題を抱えてしまいます。
貴方たちを考えて気を病むということも、寝ないで朝を迎えるということも、一人で生きていこうとすることも、なくなりました。
部屋に花を飾ることが増えました。
24歳になりました。
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ひとり呑みが好きだ。
夜、仕事を切りよく終わらせて足どりが軽い。真っ直ぐな四車線の両端のマンションやビルのネオンがともり、自動車のバックライトが街灯よりも多く連なる。道の行く遥か先にある開けた山々を残陽が照らす。この世の中が労働からの解放を祝福している。夜は長い。会社に行く準備をするために目を覚ますまでが夜だ。
呑みに行く時は、必ず偽名を使い、仕事を明かさない。行きづりの人たちと、一夜限りの適当な知人未満の関係でいたい。変に仕事が絡み始めると酒が義務の味になる。ただ、同じ店に行き続けると、変な噂が流れ始める。先日、よく行くバーで「やっぱり、女性で探偵は大変ですか?」と聞かれた。
職場近くの炭火焼きの魚が美味しいお店に立ち寄ることにした。
ある日、その店の店主から、今年神社に神輿が奉納されること、神輿の担ぎ手を募集していることを聞いた。二つ返事で、神輿を担ぎたい!と手を挙げた。
特定の何かを信仰しているわけではない。ただ、最近の生活に神聖なるものが欠乏していると感じていた。スピリチュアルな話ではない。瑞々しい葉を翳して見る太陽や、我を忘れるような音楽や、冬が来て初めにストーブをつけたにおいや、そういったものにも神聖なるものは宿っている。
それに、知り合いが一人もいない街に引っ越してきて、友達が欲しかった。
そういうわけで、無事に神輿会のメンバーとなった。
神輿を担ぐことは、本当にすごかった。相互扶助のあり方だった。
自身の威厳にかけて頑張りに頑張って担ぐが、辛くなったら代わりに誰かが飛び込んでくれる。常に近くに誰かがいる。声を掛け合う。わたしは身長が145cmと低く、明らかに前後に負担がかかってしまったと思う。けれど、低くなっているところに入れてくれたり、神社の名前が入った提灯を持つ役割を与えられたり、なにより誰もが限界状態の中で合わさる掛け声は、わたしという存在そのものを包摂してくれたように感じた。神事である緊張感の中に、仲間であることの安心があった。
街を練り歩き、最後に宮入りする際に雨が降った。神が天より喜びを表現してくださった「涙雨」というらしい。みんな泣いていた。わたしも泣いた。
老若男女の知り合いができた。今これを書いている最中にも、一緒に担いだ仲間からバーベキューのお誘いのメッセージが届いた。
生活していくということは、働いてお金を稼ぐことや、部屋を整える事だけではない。自分の居場所があるということも大切だと感じる。わたしは今、この街に住んでいると胸を張って言える。それはとても幸せなことだ。
生活のひとつひとつを愛していきたい。近くで採れた食材で料理を作り、好きな匂いの洗濯物をたたみ、花の水を替える。コーヒーを淹れてもらってパートナーと今日あったことや考えていることをゆっくり話し合う。季節を感じ、絵を描く。街の仲間と協働していく。わたしは、今ここにいる限り、ここで生活を重ねていくのだ。
とは言いつつも、今夜も一人街にくりだす。一定の考えに縛られていたら息苦しくなってしまうよ。まだヘパリーゼがなくても大丈夫、元気なつもりで生きているからね。
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