10年を思う

今日で福島第一原発一号機が爆発してから、10年。
安全神話が音を立てて崩壊した日から、10年。
自戒の意も込めてこの文章を書きたい。

まず最初に、東日本大震災で亡くなられたすべての命と、今も続く被災者や遺族の方々、避難生活を強いられている方々、また行方不明の方の苦しみに心から思いを寄せたい。

さて、昨日で地震発生から10年だった。
今日で福島第一原発爆発から10年。
明日はどこかで誰かの亡骸が見つかってから10年かもしれない。

ニュースやSNSなどを見ていて思ったのは、3.11があまりにも「3.11」だけにフォーカスされていること。その日だけにすべてが起こったのではないし、10年目が特別なわけではない。
地震、津波、原発事故を含めた広義での「3.11」が、「3.11」という日にだけ注目され、取り上げられているように思える。

私自身3月11日という日を軽視しているわけではない。その日に起きた地震がすべての始まりであって、その日に生活が一変した方々のことを思うと、軽視することなどできるわけがない。しかし、12日に話をすると、どうしても「昨日の話」になってしまう空気はないだろうか。

また、もちろん10年という時間が大切でないわけではない。
あれだけ衝撃的な出来事が起きて、連日新聞の一面に大きな見出しが出ていた頃から、もう10年もの時間が過ぎたと思うと、短いようで長く、長いようで短く、時間の不思議さを考えさせられる。
私はというと、今20歳なので、地震が起きるまでの時間をちょうど折り返したことになる。体感ではあっという間だったが、そう考えるととても長い時間なんだなあ。

「10年」という時間の重さは、私にとって、あなたにとって、東北の方々にとって、一人ずつ感じかたは違うと思う。しかし、10年目の昨日が大切なように、今日も大切で、来月も、来年も、ふとした時に東北のこと、津波のこと、原発事故のことが頭によぎるよう、アンテナを立てていたい。そして常に新しい情報に触れるようにしたい。そして自分の身に起きたときに適切な行動がとれるように、準備したい。








最後に一つだけ言わせてほしい。
なんでまだ原発動かそうとしてるの。

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