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「迎える平和」について考えたこと

昨日、79回目の8月6日を迎え、祈りに包まれた広島。私も西条から始発で平和公園に出向き、式典に参加し、猛暑に包まれながら慰霊碑に参拝してきた。

広島市の平和式典規制について

広島市は厳粛な式典の開催のために、平和公園周辺を規制し、プラカードや拡声器等の持ち込みを禁止した。式典会場の入り口ゲートでは金属探知機による手荷物検査もあった。

市民団体、被爆者団体の間でも意見が割れているこの問題について。
私は、表現の自由の妨げだと感じている。もちろん、一部の暴力的なデモ隊による衝突を望んでいるわけではない。ただ、静かに祈りたい人がいるのと同様に、声をあげたり、ダイインによって表現したり、各々の方法で平和について考え、表現し、思いをはせる権利があると思っている。そして行政がそれを制限することは、やはり問題があるのではないかと思う。

一部では、「平和公園は政治的な場所ではないから、やめたほうがいい」という意見も見られるが、私は平和公園以上に政治的な場所はないのではないか、とも思う。平和都市建設法という法律に基づき、政治的に復興、発展させてきた公園であり、広島市の政治的な意思によって式典への招待が決まる。であるなら、政治的なメッセージを平和公園から発信することにも私は共感したい。

わざわざ広島まで来て、核兵器禁止条約にまったく触れない首相のスピーチは、「政治的なメッセージ」ではないのか??など考えたりする

原爆死没者慰霊碑に参拝する人の列

「迎える平和」を掲げる広島市に

広島市は式典にロシア、ベラルーシを招待せず、イスラエルは招待した。式典の開催前から、「ダブルスタンダード」との批判も数多くあった。
一方、イスラエルも招待しない長崎の式典に対して、今日になって米英はじめ6か国の大使が参加を見送る(別の担当者は参列)との報道も出た。やはり式典、ひいては広島、長崎という土地は非常に政治的な場であると痛感させられる。

広島市は「迎える平和」を掲げ、各国要人はじめ多くの人に広島市に来てもらい、被爆の実相に触れてもらうことを呼び掛けている。式典会場で配布された資料にも、パンフレットが挟まれていた。

配布された資料

で、である。「ダブルスタンダードだ」という批判は、「ジェノサイドを許すな、イスラエルを招待するな」というものだと思う。しかし、私は本来は逆ではないか、と思っている。「迎える平和」を掲げるのであればなおさら。

ロシアもベラルーシもイスラエルも、招待すべきである。
現在も虐殺を続け、市民を殺し、核兵器の使用をちらつかせて威嚇する為政者たちを呼び、目の前で痛烈に批判すべきではないか。広島から発信する市民の声を聞いてもらうべきではないか。
ある国は招待し、ある国は招待しない、とすれば、その国に対して別の国の対応が変わる可能性だってありうる(今回のように)。そうなれば、平和を訴える場のはずが、対立を生み、片側の団結を促す場になってしまう。それこそヒロシマが、被爆地が最ものぞまない姿勢なのではないか。

被爆地が発するメッセージは「核兵器絶対反対」「反戦平和」である。
反戦を求めるのであれば、現在武力行使している国家こそ招待し、公然と批判するべきである。広島市が心配するような「会場でのゴタゴタ」があるとすれば、それが国際社会からの視線であるし、そこで周辺国が暴力に走ることはないと言い切っていいのではないか(同じ土俵に乗ることになる)。

湯崎知事のあいさつは毎年好きだが、今年もとてもよかったと思う。
テレビ中継ではイスラエル大使をフォーカスしていたようだが、ロシア、ベラルーシにも聞いてほしかった。招待してほしかった。


19時ごろ、元安川。暑くて長い一日が終わっていく。

最後に

今日は8月7日。
昨日1日、「今日は祈りの日」「今日は平和について考える日」等々多く見かけたが、モヤモヤ。

たしかに、昨日が大切な日であることは間違いない。しかし、79年前を思えば、6日を生き延び、7日に亡くなった人も多くいるだろう。6日に家族を探したが見つからず、7日に見つけた人もいただろう。明日8日は福山で空襲があった日で、戦争はまだまだ続いていた。その後も後遺症や厳しい差別や偏見に苦しめられながらも、闘い、語り継いで生きてきた人たちがいる。

8月6日にはもちろん祈りたい。
が、6日だけで終わらせたくない。
平和学習を夏の風物詩にしたくない。

ずっと、折に触れて考え続けていたいと改めて思う1日だった。

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