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恋愛遍歴。

私は文学が何かなんて分からない。語るつもりも毛頭ないけど考えちゃう性格で。妄想癖があるというか。
高校の時に本を読むのが嫌いで読書感想文を書くのに本を半分しか読めず、「半分しか読めませんでした」と書いた読書感想文を提出して担任からペラッと賞状をもらった。思春期うつで留年していたぐらいなので、どんな賞だったかなんて見もしなかった。でも誰かが賞をくれたので、多かれ少なかれ良い事を書いたのだと思う。

「あの時の賞状が原点です」と言えれば格好がつくけどそれも違う。

時が経ち、大人になって、年上の友達が出来た。母と同い年で、音楽の趣味が合い、今は亡き名古屋ブルーノートに一緒に行ったりした。彼女がエルトン・ジョンの「ロケット・マン」を観に行こうと誘ってくれた。映画に興味は無かったのだけど、彼女が配給会社の株主で800円で観れるというので付いて行った。映画館なんていつぶりだろう、と思いながらポップコーンの塩味の指を舐め、長い告知だなと思いながら見ていた中に、写真家の父が大嫌いな蜷川実花‪氏‬の監督のビビッドな映画があった。「人間失格。太宰治と三人の女たち」だった。まだ告知の時間だったので小声で「これも観たいな」と言った。単なる好奇心だった。他人の濡れ場が見れるかもしれないという。

映画もたまには良いなと思いながら、ポップコーンのカップの底を擽り、とりあえず沢尻エリカの濡れ場を楽しみにしていた。小栗旬よりそっちだった。何故かは分からないけど。

エルトン・ジョンは名前しか知らなかったけど、大変な苦労をしたんだなと思い、映画館を後にした。友達はすぐに次の映画の約束をしてくれた。彼女は私と違って映画が好きだった。

沢尻エリカの濡れ場の日になって、二階堂ふみの乳首をスクリーンで見て、ふうんと思いながら、特に映画に感銘を受けた訳でも無く、よく分からないラストだったななんて思いながらエスカレーターに乗った。私はその時32歳だけど、鈍臭くてエスカレーターに乗るのにタイミングを見ないと乗れなかった。

エスカレーターに乗っている短い間、友達が私を見上げながら沢尻エリカの役どころの話をしてくれた。「斜陽」の元になった事も。私は、蜷川監督には申し訳ないけれど、友達の話の方に興味をそそられた。二階堂ふみの乳首よりもだ。

帰りに書店に寄って、友達の言葉だけを頼りに「斜陽」を探した。恥ずかしい話だけれど、しゃよう、どんな字かなとか思っていたのだ。

帰って読んでみて驚いた。驚いたし、自分がこんな素晴らしいものを知らずに生きてきた事を恥ずかしく思った。手始めに、横にあるスマホで「太宰治」と検索する。

「影響を与えたもの・又吉直樹」

あの妖怪みたいな髪型の人か、彼なら知ってる。と思い、次の日も書店に居た。ちょうど、せーので乗ったエスカレーターの脇に、彼の「劇場」が文庫になったとポスターが貼ってあった。文庫って、小さくて、安いやつ、という認識しか無かった。出版されてどれくらいで文庫になるとかそういう知識も皆無で、せーのでエスカレーターから降りる。

フロアで一通り迷子になり、やっと店員さんを捕まえ、ポスターの側に連れて行き、子供のおつかいのように「これください」と言った。馬鹿である。店員さんは優しく、両手で文庫を手渡してくれた。

家に帰って読んで、泣いた。私が初めて本を読んで泣いた日だった。

本の良さを三十路にして初めて知った私は、単純なことに又吉直樹さんに恋をしていた。「火花」ももちろん読んだ。「人間」は読めていない。登場人物の妙な名古屋弁が気になったのと、ストーリーがあまり好きではないというか、私には難しいのかもしれない。自由律俳句の本を買い、というか彼の著書を全部買い、あっさりと影響された。何故始めたか覚えてもいないTwitterに自由律俳句らしきものを呟き、ハッシュタグ自由律俳句とか付けて、結社の方々に♡を押してもらい、それはそれは愉快だった。有季定型句も、本を読んで勉強し、ありきたりだがプレバトとか見て、分かったふうで投稿した。

これを思うのにはもう少し時間が掛かるのだけど、一昔前は自分の詠んだ俳句をプロに見てもらうなんて大変な事だが、今は良いなと感じた。

それから私はTwitter上の友達繋がりで、もう言って良いと思うけど、とあるディスコに通う事になる。最初は何やら不穏なアカウントだな、と思った。怖いとさえ思った。怖いもの見たさというのもあったけれど、管理人さんに話しかけたら、センスがあると言って頂けた。私は管理人さんに他ならぬカリスマ性を感じていたので、素直に嬉しかった。今でも、私を築き上げてくれたのは彼だと思っている。

これは言えないけれど何やかんやで私は一旦ディスコを後にする。そして仕切り直し、魔女と名乗り出した。アカウントの世界観が定まってきたのは最近の事で、文芸企画をサバトと呼ぶことにした。ウケているかどうかと聞かれると投稿数こそ少ないけれど、皆さん本当に素敵な文章を紡がれる方々ばかりで、数ではない、質だというのを実感させて頂いている。

そんなTwitterにどっぷり浸かった中、私は湿気の街に迷い込んだ。シーツがへばりつくような不快感と快感の狭間、文章による悦楽というものを知った。いやそれはディスコでも思った事なのだけど、多分、SEXで言うところの、違う性感帯を突かれたのだと思う。好き嫌いはあると思うけど、私は文章を性的に例えるのを的確だと思っている。又吉直樹さんに恋をしたように。

湿気の街の書き手さんは、こう言っては失礼かも知れないが、私と好きなものが似ているんだと思う。感性と言うか。


斜陽を読んでから1年しか過ぎておらず、本好きとは決して言えない私は、まだ両手両足の指で数えられるくらいしか本を読んでいない。

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