見出し画像

怪獣優生思想

反射的に記事を書いた。

前提:テレビで『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』が放送された。今『SSSS.DYNAZENON』が放送されていることもあり、作中の怪獣を人間の上に置いて信仰する登場人物が(ダイナゼノン側の悪役集団の名前である)「怪獣優生思想」と呼ぶジョークが出てきた。

確かに彼らは怪獣に対する優生思想的なものを持っており、その思想はなるほど「怪獣優生思想」という言葉がこれ以上なく当てはまる。

が、彼らとシズムたち四人(つまり、組織・集団としての「怪獣優生思想」)は、多分遭遇したら、血で血を洗う争いを始めることになる。その対立ぶりはガウマ隊どころの話ではない。なぜなら、彼らの掲げる思想が、致命的なまでに正反対だからだ。

同じ名前の正反対な思想

なんで、同じ名前で呼ぶのが相応しい思想が、正反対と言えるのか。それは、そもそも「怪獣」というのがこの世に存在しないものであり、その定義は怪獣が登場する作品ごとに異なるからだ。

『KOM』において、怪獣とは自然・地球の王であり、本来ならば人間に代わってこの世界を支配する霊長たる存在だ。つまり、この場合の「怪獣優生思想」とは、人間と自然の対立軸における自然回帰の思想だ。昔懐かしのガイア理論だ。ガイアとアラヤとか言ってもいい。

『ダイナゼノン』において、怪獣とは人間の情動が形を持ったものであり、衝動の具象だ。カーンデジファーが武史のCGを動かし、アレクシスがアカネの彫刻を動かし、怪獣優生思想が生まれ落ちたものを支配して暴れさせる、人間の感情の爆発だ。ロゴスとパトスだ。多分、エトスを失くした方が負けると思う。シズムくん怪しいもんね……。

怪獣とは何か

怪獣は何か、という話でいうと、自分のような特撮に疎い人間はたとえば『ゴジラ』が始祖のように思ってしまうのだが、本来ゴジラ以前にも怪獣というのはいて、それこそ『キングコング』というスターがいて、それは要するに秘境探検モノで遭遇する怪物であり、本来はそれこそが自然の驚異のメタファであり、ゴジラのあり方の方が「伝統的怪獣」としては異端(だからこそ「ゴジラ系怪獣」の始祖となった)という見方もある、と聞いた。

ゴジラは自然の驚異のメタファよりは、反核とかそっちの存在だ。社会問題のメタファとしての怪獣、か。その意味では、たとえば『ウルトラマン80』の怪獣も、子供たちを取り巻く環境という社会問題だ。なんで雑に『80』に飛んだかと言えば、『電光超人グリッドマン』も(そしてSSSSも)その系譜だから。

ゴジラとかヘドラとかのアレは社会問題型の中でも、マジで社会のアレだが、『80』とかのアレはより個人の心の問題の側になっていて、それを雑にセカイ系怪獣、などと括る気はないが、少なくとも「パーソナルな怪獣」と言う事は問題ないように思う。

「ネイチャーな怪獣」と「ソーシャルな怪獣」と「パーソナルな怪獣」がいて、従来ソーシャルな怪獣だったゴジラをネイチャーな怪獣として描写した上でその王(この場合は救世主を意味するのだろうか?)として信仰する「怪獣優生思想」は、パーソナルな怪獣を檻に押し込めている社会に対してその解放をしようと活動する「怪獣優生思想」とは、そりゃ噛み合うワケないのだ。だって、怪獣って言ってるけど、それ全然別の生き物=問題のコトなんだもん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?