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聖書の暗号

聖書の中に刻まれた情報が、
どれほどの価値を持つのか...

それを知る者は少ない。

あれは暗号である。

あれは記号である。

あれは神紋である。


聖書はもともとは、
一枚の石板であった。

源(神)と繋がるツールとして、
極めてシンプルなものであったのだ。

しかし、現代の聖書は、
その本質にあれこれ肉付けして
わかりにくいものになってしまった。

まるで「暗号の書」

そもそもそれは
神と繋がる「神約の書」

そして、
神紋が刻まれた「神紋の書」

イエスは主との約束を果たすため、
人々に聖書を見せて世界を回った。

キリストが持っていた聖書は元は

宇宙の意図を汲み取り
自分が伝えたいことを伝えるために、

彼自身が自作した石板だ。

そして、そこにある一つの
「ユニークな図」を刻んだ。

想像してみて頂きたい。

「石板(聖書)」に
彼は何を書いたのだろうか?

キリストは道を歩く者であった。

彼は宗教家ではなく
道を歩く実践者だったのだ。

だから、彼の使命は
薬になることではない。

キリストとは、
道であり、真理であり、命である。

しかし、
キリストが道を歩いていた頃、
彼はまだ早かった。

人々が求めたのは薬だからだ。

薬が必要な人間にとっては、
ただ道を歩き背中をみせるだけの人間は
少しさびしく感じるのだった。

しかし、それも
彼の大きな愛の表現だったのだ。

キリストは種を植えた人。

神代開きという
この時代の変わり目に

花が開くための
種を蒔いたのだ。

人類にとって早い時期に

まだ誰も歩かない道を
歩んだことに意味があった。

自分亡き後
長い永い時間をかけて
花が開く

そのことをイメージし、

そのために必要な
選択と行動を採ることができる

そういったとても大きな
ヴィジョンの持ち主だった。

そして、いま
その時が来ている。

もう人々に
薬は必要ない。

遂に道を歩く時が来たのだ。

みなが実践者に
なっていくだろう。

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