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人間は「性善説」か?「性悪説」か? 仏教の人間理解やいかに?

「人は善なる性質を生まれ持っている」

と肯定的に信用する態度が、
孟子の"性善説"

「人間は放っておくと本質的に悪になる」

と疑い法で縛るのが、
荀子・韓非の"性悪説"

「人間は神様の分け身魂である」とする神道や
「誰にでも仏種(仏性)あり」と信じる最澄は

「根っからの性善説」とそれぞれの人間観がある。

では、仏教の人間観においては
どのような人間理解がなされているか?

大乗仏教の根幹をなす唯識思想では、

【善悪どちらともいえない】が故に、
【善悪どちらにもなり得る】と説く。

景教の「善悪二元論」の「善/悪」の他に

「どちらでもない」という
中間領域が存在する
のだ。

善悪や○×で割り切れない、
この第三の区分を「無記」と云う。

故に、仏教の人間観は、
人間は生来は善悪どちらでもない。


欲や能力(スキル)それ自体も

元来は善性でも悪性でも
どちらでもない「善悪無記」

陰陽両面持ち合わせているが故に
光闇どちらにも転がり得ると、

ダイナミックに捉える振り幅を示す。
(=Dynamic Duality)

どちらに転ぶかは己の「心」次第!

どちらとも割り切れない、はっきりしない
この「無記」という曖昧な中間領域の中に、

実は様々な創造的な可能性が秘められている。

どんな悪人も改心すれば
光を取り戻すことができるという所に

仏教的な救い※他力本願など諸仏説ありと人間の可能性がある。

昔「光は点」という科学者がいた。

「いやいや光は波だ」という
科学者もいて争いをしていた。

しかし、更に別の科学者が新発見をする。

「光は点であり、波でもある。
どちらかではなく、どちらでもあるんだ!」


「無記」から観れば、この原理が判ってくる

このようにイエスかノーか、白か黒か
二元式の思考では対応し切れない不確実な世界に

どちらも否定せず包み超える
第三の道The Third way
をもたらしてくれるのだ。

肉体と精神
科学と宗教
人工と自然
機械と人間
真面目と不真面目
遊びと労働
聖と俗
生と死

対立項としてみられていたもの
この両方に足をかけて包み超えることで

境界線は次第にあやふやになり、

その中間領域による相互作用から
様々な創造的なものが生まれる。

一見矛盾しているよう見える対極が
メビウス的に繋がってしまうのだ。

クマグス・イノベーション

…では、以上を踏まえ
自分自身がどう捉えているかと言うと、

性善説でも性悪説でもなく、
わりと「性弱説」で人間を理解している。

人間は悲しいくらい明快な答えに弱い。

偶像は浮世離れした方が派手で目立つ。
わからない者はわかり易い方に流れる。

白黒はっきりしない恐れや不安を
すぐに思考で穴埋めしたくなるのは

ネガティブ・ケイパビリティに欠けるから。

脳内の会話ノイズが騒がしすぎて
わからないことに寛ぐこと
が難しい。

臆病と危機感は表裏一体とも言えるし、
勇気と畏怖も同列で捉えている。

しかし、混迷を極め、
次なる原理原則が求められる現代において

残念ながら"魔法の丸薬"は存在しない。

多くの人は拙速に単純明快な
答えを手に入れようとするが、

それは発見する喜びを奪う"魔法の癌薬"だ。

お手軽な処方箋を求める
浮薄なメンタリティこそが病理の根源であり

次なる混迷の誘い水になっていることが多い。

そればかりか、結局は大局観に欠ける
精神的な視野狭窄ゆえに自分の展望を狭め、

学習や発達を著しく阻害することになる。

「性弱説」故か、白黒はっきりしない
不確実な状況にめっぽう弱い人間に対し

「無記」という処方箋は救いになるかもしれない...

不確実性を低める(今までの時代)

不確実性を受け入れる(今必要としている時代)

不確実性を信じる(近未来の時代)

※自己信頼の形成期は不寛容だが
心の成熟が進むほど寛容になる

割り切りとは「魂の弱さ」

矛盾を機械的に割り切ると
生命力が失われる。

いのちの生命力は「矛盾」だから。

矛盾する二つのものの間(=無記)で
振り子を振り、バランスを取る。

矛盾から逃げず格闘し続ける
魂の力(胆力)が「人物の器」

両極を関わり合った上で
”己の眼”で見極めて進む時代!

これから世界が変わり社会も変わる。

世界のあらゆる国で
局地的にも全体的にも

人類の最終の争いが起こるだろう。

自分たちの二極となった光と闇が対立する
エネルギーのぶつかり合いをどう見るのか

それぞれの正義が対立し
ぶつかり合い壊し合うのか

意見を戦わせ合い包み超え
統合し調和に変えていくのか

全ては一人ひとりの「心」にかかってくる。

心根一つでその威力が
陰にも陽にも変わるのだ。

このまま小我や利害得失に溺れる
「万物の愚の骨頂」として環境を破壊するか?

誠に崇高にして偉大なる
「万物の霊長」として環境を甦生するか?

現在、心の振り子が
どちらに振れているだろうか?

これからは如何?

そして、その人類の選択と
世界の行末を宇宙は静かに見守っている。

大きな力と力がぶつかり合うことで
全く新しいものが生まれる「創造の原理」

割り切りでもなく止揚切り捨てでもなく
矛盾をエネルギーに変えることができるか?

対極が出逢い、格闘し、影響を与え合い
大きなカオスを生み出す力こそ

創造を促していく「宇宙の生命力」

相反する表裏の関係が一つとなる時
When conflicting front-back relationship
becomes one,

そこから全く新たな価値が生まれる
new value is born from Dynamic Duality!!


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