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「私は、四人兄弟、なのよ」No.5

         五、
 しかし、と正田は、和歌山であれ、滋賀であれ、奈良であれ、折角弁護士免許を取得しても、ただ一途に債務調停の仕事ばかり拾いながら、いつも思うことがある。
貧乏人どもは、正田と対面し生活の苦しさを涙、涙で訴える、先生の力で債務を減額して貰えれば今後は一生懸命働いて必ず完済致します、と訴える。
 だが、同じ顔の貧乏人に二度、中には三度も調停室でその生活の悲惨さを、全く同じ台詞で、同じ量の涙を頬に流して聞かされたことがある。
 貧乏人の貧乏たる所以は、何とも思わないところに在る。市中金融、所謂闇金に取り立てられ、顔を何度も殴られても、貧乏人はまた別の闇金屋に世話になる。全てその場限り、であることをこの職業について、こんな人種が世の中にたくさんいることを正田は初めて知った。
 借金の二重橋、五重の塔、この連中のほぼ全てに共通するのは、パチンコ依存、一日が午前10時開店するパチンコ店の前の、整理券配布の行列に並んで始まり、午後10時の、卒業式に歌う歌を背中に効きながら家路につく。
 貧乏人が、サラ金、闇金で金を借りられなくなると、次に思いつくのは、盗む、こと。最近は、闇バイトに応募して、人を殺してでも金を盗む。しかし、彼らは、朝一番、軍艦マーチ、玉がジャラジャラと鳴るのを聞けば訳の分からぬ苛立ちも、意味不明の焦りも、闇金取り立て男に見つかる不安も、一切が脳から消えて安堵する。
 正田も取り立て依頼されて貧乏人の家を訪ねる場合もある。居留守ではなく、実際に家に居ない場合は近所のパチンコ屋へ行って探せば、老若男女問わず、ほぼそこで見つけることが出来る。

 もううんざりだが、金儲けの為であり、うんとお金を貯めて、あのおばはん秘書の顔に、溜まった家賃、借りた金、返済取り立てを裁判所に訴えて出られる前に、札束投げつけて返すには、どんな仕事であれ正田は引き受けざるを得ない。多分、いやほぼ全員、同じ雑居ビルに同居するご同輩、正田と皆な同じ思い、同じ苦しみを背負って生きているに違いない。

 今日予定されていた貧乏人との面談、調停作業を終えて和歌山地裁庁舎を出た正田は、バス停に向かうべく駐車場を歩いて行くと、庁舎角の影の辺りから、何やらひとの声が聞こえて来て、正田は足を停めた。
「このクソ餓鬼、何処に逃げさらしとったんや、ええ?キャラコの園田から連絡があって、今日ここに来るて聞いて待ってたんや。
金貸してくれ、金利は何ぼ高うてもかまへん、金がなかったら一家心中せなあかん、何とか助けてくれ、て泣きついてきたん、オノレからやろ。わしが、あんたとは知らん仲やなし、古い付き合いや、何とかしたろう思うて、知り合いの園田に金貸してやってくれ、わしが保証人になるよってと無理凝り頼んでやったん、ちゃうんけ?
そやのに、何んやて?さっき園田に話聞いたら、金利高過ぎて払われへんて?借金減らしてくれて?おいコラ、どの口で云うてけつかんね、オノレが借金払わんかったら、保証人のこのワシが払わなアカンのや」
責められている男が何か云ったか、泣きながらの小さな声で聞き取れなかった、
「何んやと、このクソ餓鬼、もう一遍抜かしてみい、ワシが無理に貸し付けた、てか?」
ぐしゃと、スイカを棒で叩き割ったような音、そして間を置かず、同じ音が、建物の陰から二発、三発と聞こえてきた。
 悲鳴が聞こえ、そして親に叱られた子供のように泣いて謝る男の声が聞こえた。先ほど正田の前で調停を終えたばかりの男の涙声だと分かった。
 庁舎内では、債務者、債権者の直接交渉、直談判は不可、大手銀行系サラ金は遵法しているようだが、所謂市中金融系、闇金系金貸しは、こうして庁舎の陰に隠れて、債務者を脅迫する。何度か見かけたし、泣き言も聞いてはいるが、あくまで法に則ってしかどうにも動けない弁護士であってみれば、そのような諍い、面倒事には一切関われないし、関わらない、と正田は固く心に誓っている。
 それに、多分、殴っている男の言い分が正しいと正田は思う。殴られた男は、人を殺してでも金を、耳を揃えて都合しないと、明日の朝には自ら進んで飛び込むか、明後日の朝には投げ捨てられて紀伊水道の波に死体となって浮かんでいる。どっちであれ、自業自得や、しようない…正田は聞こえよがしに靴裏をぽっこぽっこ鳴らしてバス停へ向かう。

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