見出し画像

「火男さんの一生」No.57

        57,
 鹿木は何日も考えた、他に何も手が付けられないまま、どう対処すべきか考えた。だが何を考えても堂々巡り、いつしか眠れなくなり、一睡もしないで一晩中考えるようになった。
 会うべきか、それともこのまま無視するべきか…
会ったとする、なら初めに話をどう切り出すべきか、何から話をすべきか、体の具合を聞けばよいのか、毎日どう過ごしているのか尋ねればよいのか、それどころか吉信がいきなり鹿木に、人殺し、と叫んでくるかも知れない、その時に俺はどんな顔して対応すればよい?次々と、色んな場面を、その場で交わされる台詞を想定する、考えれば考える程、そして過ぎれば過ぎる程、時間は鹿木の考えを出口の無い迷路へと追い込んでいく。
 
 県議会内の、鹿木も所属する保守系議員連盟に名を連ね、鹿木とも親しい弁護士兼業の佐伯議員に受刑者との面会手続きについて訊ねた。佐伯は、その刑務所名を訊くと、そこの所長とは昔から心安くしている、自分が段取りしてやると請け負ってくれた。
 設定された日に鹿木は、~刑務所を訪ねた。所長との面談約束を守衛に伝えて、所長室へと案内された。
 永田所長は係官を呼び、上村吉信との面会を手配するよう命じた。係官は、今、上村服役囚は、機能回復訓練室でリハビリしている最中で、もうすぐ終わると思いますが、ちょっと見学されますか?と誘ってくれた、鹿木は機能訓練室を見学することにした。
 
「機能訓練室は、この独房棟の廊下を通って奥に在ります、上村吉信受刑者は、この通路に並ぶ独房で暮らしています」
係官は鹿木を振り返りながら、説明してくれる。
「ここが上村受刑囚の部屋になっております」
立ち止まって、鹿木はもしやそこに吉信が居るのではと思いながら、恐る恐る、鉄格子の中を覗いてみる。三畳程の広さで畳敷き、小さな机があって、奥に鉄格子の付いた小さな窓、畳の上に、吉信が散らかしたか、時に議員同士で慈善訪問で訪れる老人施設で見掛けるような器具などがあった。
「上村受刑者は、やはり作業が難しいので、こことは別の部屋で、同じような障害を持つ数人のグループで、同じ作業をしております。グループの方は、自分たちで養護工場、と呼んだりしています」
「上村受刑者や他の障害者、それに高齢受刑者は、大体は午前中だけ木工作業等して、午後に運動場に出て散歩したり、上村受刑者のようにリハビリ室へ行ったり、医師の診察があればそっちで受診したり、しています。ここが、機能訓練室、です」
 机と椅子が並んでいれば昔の小学校の教室の風景を連想させる部屋、通路と部屋とを透明のアクリル製の格子窓で隔てている。室内には色んな訓練用器具が並び、2,3人の制服刑務官が、障害者達に訓練の指導をしている。
受刑者たちは全員丸刈り、その殆どが白髪頭で、中には見事に禿げあがった者もいる。そしてその誰もが背中が猫の背のように突起したように丸まり、そしてその動作は、非常に鈍かった。
 そして誰一人、他の誰かがしていることに目移りもせず、ただひたすら、自分に宛がわれた器具に、教えられる通り、黙々と鈍いながら体を動かしている。時の流れから乖離した空間でひとがゆっくりと動いて、何か別世界を見ているような感じを鹿木は受ける。
 鹿木は、この中に見知った人物が居る筈だと、十数年前の記憶に残る一人の男の姿を探した、が、老人達の中にそれらしき姿を見つけることが出来なかった。
 ふと一人、白髪の坊主頭、その側頭部に黒い大きな芋虫が這ったような手術痕の残る老人の姿が目に留まった。多分、脳卒中などで開頭手術を受けたのだろうと、他人事に思いながら、目を離そうとした時だった、その老人の顔がふと動いて鹿木の方を向いた。口が大きく耳元近くまで逸れて、まるで祭りの屋台で売っているひょっとこ面のような顔、そしてその老人の目は、窓の外から見る鹿木の目を真っ直ぐに見る。
(吉信…?)
鹿木の体はその視線を受けて体が固まったように動かなくなった。
「やはり、ね、一般社会が高齢化に向かうにつれ、ここに収監されてくる受刑者も、ここ最近とみに高齢化傾向にありまして、刑期を終えて折角社会に復帰しましても、体の衰えや高齢の為の障害などで仕事に就くことが出来ず、また誰かが面倒見てくれる家族の方も少なくなって、結局空腹に耐えられず、何か盗んで捕まり、また逆戻り、それの繰り返しで、受刑者収容施設はどこももう高齢再犯者、累犯者で手一杯になっています。
 このままでは、本当に、受刑者たちも云うように、刑務所自体が、近い将来、養護施設化してしまうのは目に見えています」
係官は訓練室内の様子を見ながら、そう云って溜息をつく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?