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「トッレートレトレトッレー」19of20

               19,
「8億3千万の売買契約、支払いはいつになりますか?」
黒塗りの、無理に感情を抑えたような穏やかな声、しかし奥歯を歯軋りする音が、空気を振動させて伝わってくる。
「悪いねんけど、今回の事、ご縁がなかった、ことにして貰えません、やろか」
(ご縁がなかった、今回お見送りを)
皆友は融資申し込み審査結果で、何度この台詞を聞いたことか。
「どうしたん、ですか、突然そんな、理由を聞かせて下さい」
「寄付協賛金が、ちょっと遅れていまして」
「前に6億位は既に、と仰っていました、が…どれぐらい待てば、いいんですか?少しぐらいなら猶予、してもいいですよ」
「どれぐらいなるか」
と尻すぼみに声を出した。
「そんな話、嘘、なんでしょう、最初っから、全部?」
皆友は、言葉が詰まった。
「いいですよ、この話、無かったことにしても。どうせ、寄付の話も真っ赤な嘘、最初から私たちをペテンにかける、つもりだったんでしょ。このまま、訴えてもいいんですが、その前に、先日振込しました2億8千万、これ、返して下さい、これ、返して頂ければ、告訴はしません」
「2億8千万、あれはゴミ処理費、もう業者に支払いました、一括で。明日か明後日には工事に掛かる予定しています」
「うちでやります、28万円で」
「何ですの、28万円て」
「公式に見積もり費用、算出しましたら、精々28万、です」
「そない云われても、云われた通り2億8千万の金、業者に払ったし、その領収書もありまっせ」
「額面の¥280,000に、0三つ、書き足して、ですか?」
「なんやそれ、えらい云われようや、訴えますよ。私は、請求された、云われた通り払った、だけ、ですからね」
「2億8千万、振り込んだ日は、皆友さんが濫発した約束手形の支払期日でしたし、その支払い総額と振込した金額は全く同額、でした、全て調べています。2億8千万、返さないのなら、いえ、もう返す宛等、無いでしょうから、訴えるしかないですね」
「訴える、訴える、て、私は、何も訴えられるようなことしていません、からね。売買契約、これも、資金繰り不調を理由に履行不能となれば合法的に破棄出来るし、2億8千万の金も、業者から請求された金額を払った、だけのこと、領収書も発行されて、業者が、工事に掛かって、完工すれば、それで一件落着、訴えて出ても、裁判所は、受理してくれませんよ」
黒塗り、一々反論されて、言葉に詰まった。常の黒塗りなら、こんな屁理屈にたじろぐことはないが、何分、怒りで、頭に血が上り過ぎて、正常に思考回路が機能してくれなかった。受話器を持つ手がわなわなと震え、ダイハナの大助みたいに口がわなわな震えて涎が溢れる。
  そして、黒塗りの思考回路ネットワークは、怒りが一気に押し寄せて重要な回路が切断され、脳が勝手に修復しようとして、別の回路に繋がってしまい、黒塗りは正常な判断が出来なくなってしまった。回路は、役人専用回路に繋がってしまっていた。
役人専用脳内思考回路とは、公務執行中、不測の事態に直面して、本人は勿論、周囲同僚、上役、果てには所属省庁長官、とどのつまりは、大臣をもその首を危うくする事態が予測された場合、担当役人が、真っ先に何を為すべきか、役人就職と同時に埋め込まれたチップが勝手に起動するようにプログラムされた回路である。
何種類、何通りかの回路、例えば、「捻じ枉」「転嫁」「冤罪」「擦換」「隠匿」「黒塗」等が複雑にプログラムされているが、今回の黒塗りの頭の中のチップは、処理としては、最も幼稚で、初歩的な手法を選択し、それを黒塗りに命じた。
「全て、何も無かった、ことにせよ」
そして、黒塗りの頭の中で、幾つかの画が映し出された、
一つ目は、議事録、これまでの経緯を記録した書類、そしてそれを一々細かく記録した係長の存在、
  (処理方法:黒塗り)
二つ目は、売買契約書の存在、
  (処理方法:黒塗り)
三つ目は、2億8千万円振込書、
  この振込については、緊急処置的に実行したと主張すればよい。問題は、次の、項目、だった、
四つ目は、振込に至るまでの経緯(議事録、面会記録とも重複する箇所あり)
  某夫人の名前、「~ですね」からの電話、局長からの振込執行命令。
  (処理方法:全面黒塗り)
 
それに、これは誰にも云わずにいたが、ロマンス女神「お花坊」だと云う娘から、皆友さんから頼まれて、今晩一晩是非ご一緒に、と、薄い透け透けの、しかもピンクのネグリジェを着た若い娘の写真がメールで送られて来て、京橋のキャバレーで落合い、この娘から、熱いもてなしを身を焦がす程に受けて、その後、何回か、お世話になっている事実も、もしかして、公に晒されるやも。
このことは、しかし、他に誰も知る者はいないし、京橋に向かう時は、環状線に乗り、周囲にそれらしい恰好の人間が乗っていないことを確認してきたので、マスコミに絶対しられてはいない、と心配していない。
今でも、黒塗り、「お花坊」との逢瀬を忘れられない、是非もう一回と、その機会を願っている。待つことの余りの切なさに、ふと口遊む、
♪きっと来てね~と、泣いていた~、可愛いお花坊~♪
 
ここまで考えた末に、黒塗りの思考回路は、次のように、結論した、
やったことは今更どうしようもない、
済んでしもうたことも今更どうにもならない、
在るものを隠すにも今更無理がある、
ならば、と、黒塗りは、全ての事実を真っ黒に塗りつぶせ、不都合なものは塗りつぶせ、と結論した。有難いことに、先述項目は何れも、「情報不開示6項目」のいずれかに該当する。
(資料2:開示義務
行政機関の長は、不開示情報が記録されている場合を除き、 開示しなければならない。
(不開示情報の類型)
①個人に関する情報、②法人等に関する情報、③国の安全等に関する情報、④公共の安全等に関する情報、⑤審議、検討
等に関する情報、⑥事務又は事業に関する情報)
公務員たる者、公務執行上、一個人の責任は問われることはない。オレ、一人が責任取らされることはない。
(公務員個人に責任を問えば、公務員が公務に対して萎縮する恐れがある)
かと云って全て免れる訳でもない。やはり悪事、失態が世間に露見すれば、文秋などが煽り立てて、将来の出世、退職後の上級国民資格の取得、それまでの女房子供の世間体など、タダでは済まない。そこで「一蓮托生」制度、公務員の為の共済救済制度と云う不文律が生きて来る。
黒塗りがまず我が身をいかに守るか考えたように、上の連中もその禍が、その火の粉が我が身に降りかからぬよう、身の保全のため、命を掛けて部下を守るという、公務員特有の本能が、プログラム化、システム化されてチップインされているのである。
 
黒塗りは早速に動いた。まず、部下の白木を呼び、今回事件の関係書類、関係議事録から、先に思考回路上に「放置は危険」と指摘された4つの項目に係る記録一切を黒塗りするよう命じた。そして白木に念を押した、
「決して漏らさぬよう、万が一にも、黒塗り漏れが露見した場合、我ら二人のみならず、我らが給金を貰うこの部署で働く全員に、そして累は村、町会議員から市、府議会議員、上級省官庁へ、更に内閣大臣にまで及ぶやも知れぬ、心して黒塗りを」
と、命じた。
 
  元来が、住まいする公務員住宅や、この庁舎から一歩でも外気に触れて、一般庶民の顔を見るだけで、心臓が激しく鼓動して、危うく過呼吸で倒れそうになるほど人見知りな白木、飛んでも無い命令を受けて、体中の血管が一気に狭窄し、血が流れなくなって倒れそうなほど眩暈がした。
  そして白木は、予定外のトラブルに直面した場合、いつもそうなるように、自分を狭い通路へと追い詰める白木独自の思考回路へと入って行った。そして僅か2日後には、四六時中、24時間、ぶつぶつと独り言を呟くようになっていった。
「僕は犯罪者になってしもうた、内閣が吹っ飛ぶようなことをしてしもうたんや」
 
(作者註:ほんとはここらへんの経緯、詳しく掘り下げて書きたいのですが、所詮が落語仕立て、またこれ以上の深掘りしてみたところで、世間は瞬間湯沸かし器か、ニンチばっかし、このままうっちゃることにしました。Wikipediaに詳しく掲載されていますのでそちらでじっくりと)

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