合言葉は・・・?

かねて血を恐れたまえ


そう呟くと、いかにも重そうな扉は、錆びついているのかキイキイと音を立てて開いていく。
酷い匂いだ、中に死体でもあるのか?
ようやく開ききった先には、お世辞にも座り心地がいいとは呼べなさそうな椅子と、そこに座る男の遺体。
見たところ教会の人間のようだが、他に人間らしき影はない。
扉の向こうから聞こえた声はこいつのものか?
恐る恐る遺体に触れると、またあの感覚が頭を襲う。
脳が蕩けるような零れるような、あの医者が言っていた「血の医療」とやらの影響なのか?

そもそも、合言葉とやらを知れたのも聖堂に大切そうに祀られていたあの崩れかけの頭蓋骨のおかげだ。
なんだったんだあれは、およそ人のそれには見えなかったが。
触れれば白昼夢を見る頭蓋骨など聞いたことも無い。この土地は未知だらけだ。

だが、あれを守っていた神職の女が獣化したことを考えると、あの頭蓋骨ももとは人間のものだったのだろう、それもかなり高位の聖職者だ。
わからないことが多すぎる。

とにかく先へ進もう、ゲールマンとかいう爺も言っていた「歩みを止めるな」と。
このヤーナムの「血の医療」とやらでしか俺の病気を治せないとは聞いていたが、その結果が斧を片手に人か獣かもわからない連中を狩ることになるとは想像できたろうか。
まあいい、今はこのクソみたいな獣狩りの夜を早く抜けなければ。

長い螺旋階段を下りた先には、先ほどまでの石畳などなく、血と油が混じったような据えた匂いの森に出た。
相変わらずここは獣しかいない、ヤツらの頭蓋をたたき割り、脳髄が飛び散るさまに愉悦を覚え始めている俺も、立派な狩人なのだろう。
脇の洞窟の中に、明らかに場違いな梯子がかかっている。なんだこの長さは。市街から伸びているのか。
昇った先には、明らかに見覚えのある診療所の裏手に出た。洞窟の中のメス傷だらけの死体はそういうことか。
あの人でも獣でもない青い肌のキノコ頭もここで作られていたのか。
様々な疑問が頭に浮かぶが、まずは中に入ろう。頭の中で先に物事を組み立てる癖にはもう辟易している。あの爺の言葉をいやにも思い出す。
先へ進もう。

ごめんください。


明らかに入口ではないが、まあいいだろう。形だけでも歓迎してもらえるかもしれない。
大き目の窓から診療所に入ったはいいが、手術を受けた時には気づかなかった。かなり大きいぞこの施設。
首筋に割れたガラスを当てられているような、冷ややかな殺意を感じる。どこかであの女が見ているのか。
俺が治療を受けたであろう部屋には、先ほどの森で見た青白いあのキノコ頭が。個体差があるのか?こいつは俺を見ても襲ってはこない。まあ殺すが。
その死体から出てきた注射器にはヨセフカの名が。頭が混乱する。ヨセフカはこの青い死体なのか。ではこの診療所のどこかで俺を待っているであろうこの殺意の主は誰なのだ。

落ち着かないままに、手術台の上に認めたのは、俺あての招待状、「カインハーストより」と。
なんでこんなものがここにある、そもそもカインハーストとは誰だ。
「なにをしているのかしら」
物思いにふけりすぎたようだ。後ろから聞こえたその声に振り替えるとそこにはヨセフカが立っていた。
しかし以前聞いたものと明らかに声が違う。そこでようやく合点がいった。この女は異常だ。おそらく先ほどの青いキノコが俺の知っているヨセフカだったのだろう。
「私たち、いいお友達になれると思っていたわ」俺の動揺は気にも留めていないかのように彼女は続ける。「そう思わない?だってあなたはこの診療所に迷える人々を導いて、私がその人たちを救済してあげる。これはシステムなのよ。あなたもその一部になってくれていると思っていたのだけれど。ねえ、月の香りの狩人さん?」
俺にそのつもりはないね。とはいえあんたと揉める気もない。詮索する気もだ。
「もう遅いわ」
鋭い痛みとともに、杖のように細い刃が俺の腹に刺さる。ただでは死ねねえよ。斧を振り上げてはみたものの、ヨセフカが取り出したナメクジのようななにかを握りしめると無数の触手に絡めとられ振り下ろすことはかなわなかった。
「狩人の被検体というのも楽しみね」若干上ずったヨセフカの声が遠めに聞こえる。もういい、目を閉じてしまおう。
どうせ、次に目が開くときにはあの美しい人形が出迎えてくれるだろう。
俺は夢に囚われているのだから。



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