このゴミはどこに捨てればいい

元気な時期は嫌いだ。
いつなにが起きて、どういう原因でそれが崩れていくのかわからないから。

ほんの些細なことからなんだよな。
前ばかり見すぎて足元の石ころを見逃している。
そうやって気づかず蹴り飛ばした石ころが積もり積もって降りかかる。

生きているということは波を起こすことだと考えている。

凪の水面に石を投げいれるように、生きていく上で「行動」することは他のなにかに変化を加えるということだ。

元気な時期はその石の大きさについてなんて何も考えることがない。
考えないからこそ身の丈に合わないことをし続ける。
そうするとどうだ、降りかかる石はもうつぶてと呼ぶにはいささか大きすぎるものになるだろ?


元気でいるコツは依存先を増やすことだ。
でもそれは同時に投げ入れる石の数が増えるってことにもなるんだよね。
気付いたときには雨あられ。

まあでももうどうでもいいんだよね、元気出たから。
それもかりそめのものじゃなくて、安定した出力のね。

今まで時間が止まったような毎日を送っていた。
昨日みたいな今日が来て、今日みたいな明日がくる。
そんな毎日で、どうやって時間を認識するんだろう。

でも最近は進んでるんだよね時間。
ついでに思考も回り始めた、長年頭にかかって晴れる気配もなかったもやがスッキリさっぱり超クリア。
脳みそがドーパミンにどっぷり浸かって早く動かせってうるさくなるぐらいだよ。

結局自分で気づくかどうか、悟りに至るかどうかなんだよね。
生きる意味とかどうでもいいし、俺以外のものなんて正直どうでもいいけれど、身の回りのものには愛みたいなものは注ぎたいなと思う。
それもドーパミンでびしょびしょになった湿り気のあるやつを。

メタファーとしてではなく、現実に即したとびっきりのやつをね。

ゴミはゴミ箱に捨てると部屋が広くなる。
26年弱生きてようやく気付いた今日までの答えだね。


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