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散歩と見て見て攻撃

ママ見て〜!
と呼吸をするように言われ続けるとどうなるでしょうか?
答えはイライラします。

娘に突然のキックバイクブームが到来した。
キックバイクはペダルのない自転車。
いくら子供用といっても充分に乗り回せるほどの広い庭は持ち合わせていない。
ということで、公園に行って乗り回してもらうことにした。

散歩もしたかったのでちょうどいい。
と娘の後ろを歩いていくが、キックをするたびに「見て〜!」とリクエスト。
「すごーい」「上手になったね」「天才かな」など褒め称えすぎたのか、ほしがりが止まらない。
できることが嬉しいのはわかる。
リアクションがほしいのもわかる。
わかったから黙ってもらいたい。
限度ってものがある。

歩き始めたばかりで攻撃をくらい帰りたくなる。
散歩にはリフレッシュ効果やストレス解消効果があるらしいのだけど、新しいストレスがうまれた。
どういうことだ。

空返事なのがいけないのかもしれないので、なるべくリアクションをして進む。
しんどいな。

調べてみると5、6歳児は見て見てが激しくなりがちらしい。
自分を見てくれているのか、大切にされているのか、など不安を感じると余計に見て見てが激しくなるんだとか。

予想的中。

やっぱり寂しいのか。
寂しくさせている自覚はある。

ついつい日常生活を送ることを優先させてしまう。
仕事から帰るとまずごはんの支度をしたい。
お話はできるけれど、娘はずっと抱っこをされたがる。
一緒に遊んでほしがる。

ごはんを諦めたらいいのかもしれない。
作らないでいいのかもしれない。
どうせ、凝ったものは作れない。
野菜を食べるつもりもない。

たまごかけごはんか納豆ごはんで済ませたらいいのだ。
うまくいけば、献立を考える時間がなくなり、買い物をする頻度も下がり、食費を抑えられる。
いいことばかりだ。

いや、そんなわけない。
自由でありたい。

娘のために動くことは必要だけど、そればかりになったら動けなくなる。
まずは自分を満たさないと、他人を満たせない。

遊べない代わりに手伝ってもらおうか。
「一緒に遊ぼう」の言葉は「遊びたい」よりも「一緒に」がポイントだろう。
「一緒に」ごはんを作って、「役に立てた」って思えたらそれは自信につながるはず。
最初は時間がかかっても慣れてきたら本当に助けてもらえそうだし。
あとは私がイライラしなければ完璧。

できるといいなあ。

サポートいただけると嬉しいです。メリットはわたしがゴキゲンになります。デメリットはその様子が見えないことです。あれ、メリットがメリットでない?