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「平和な世界」は来ない。だから「安心できる村」で暮らす。

昨日から、Twitterのタイムラインは有名人の死に絡むネット上の誹謗中傷への「許さないツイート」が盛り上がってる。

僕としては、誹謗中傷を許せないことには全面的に同意だし、見ず知らずとはいえ人の命が失われたこともちょっとしんどい。

でも、それ以上に「許さないツイート」が自分のタイムラインを埋めてきたことの方が違和感が強かった。

きっと、世界は変わらない。

この違和感をどうにか明らかにしたくて考えた結果、答えが出た。

それは、

誹謗中傷に対する「許さないツイート」をいくら集めても、たぶん誹謗中傷はなくならないということ。
世界は平和にならないということ。

ネット上で汚い言葉を浴びせてくるやつらは、殴りつけては姿を消し、別の場所でまた殴りつけてくるという、卑怯なヒットアンドアウェイを繰り返すだけ。

こいつらは何をやってもいなくならない。

さっき言ったとおり、僕だって誹謗中傷なんて許せないし、それで誰かが命を落とすことなんて絶対にあってはいけないと思う。

でも世界を変えるなら、

汚い言葉のせいで命を落とす人がいない世界を目指すなら、

「許さない」の感情を膨らませる以外の道を選ぶべきじゃないか?と思う。

独りぼっちにならない場所。

人の命が失われてしまったことに対して「たられば」を口にすることが虚しくて愚かだということは百も千も万も承知で言いたい。

もし最後の最後まで「独りぼっちにならない居場所」があったら、違う結果があったんじゃないだろうか?

行動や挑戦を否定されず、同じ目線で話してくれる仲間たちのコミュニティがあったなら。

「この仲間たちがいるから、私は大丈夫。」って言えたなら。

「安心できる場所」がある人には、どんな誹謗中傷も届かないと思う。

外でどんな言葉に晒されようと、「なんか外野が騒がしいなあ、知らんけど」で片付けてしまえば良い。

もう一度言うけど、世界はもう平和にならない。
どこに行っても平和な世界なんて無理。

それよりも「ここは安心できる場所!」って言える場所がひとつ、あれば良いんじゃないだろうか?

そういう場所、コミュニティはある意味「閉じた場所」で、閉鎖的だと思われるかもしれない。

でも、それがいい。

どこにでも開かれたネットの世界だからこそ「閉じた村」が必要で、辛い時や苦しい時はその村で心を休めれば良い。

誹謗中傷のない世界は作れない。

でも、「誰も誹謗中傷で命を落とさない世界」なら作れる。

そのカギは開かれた世界の中に作り出される大小さまざまなコミュニティ、つまり「村」にある。

安心できる「村」で暮らす。

今わかりやすいのはオンラインサロン。

国内最大のオンラインサロン「西野亮廣エンタメ研究所」には僕も入っているけど、ここでは今、Twitterでの「サロン垢」を試している。

「本名」「鍵垢」「サロン垢しかフォローしない」などの条件で、サロンメンバー同士だけの空間をTwitterに作り出した。

この空間では、荒らしも誹謗中傷も起きない。起きようがない。

本人だとわかっている上に、同じサロンメンバーという認識を持っているから傷つけるなんて考えようもない。

むしろちょっとした投稿に「頑張ってください!」「朝からお疲れ様です!」みたいなコメントがつくくらい前向きで平和。


もうひとつ僕が入ってる「田舎チャレンジャーラボ」も、まさに「否定されない村」になっている。

それぞれのフィールドで挑戦するメンバーが日々、活動の報告をし合っている。

中には情報発信についてや、これから仕掛ける地方ビジネスの相談も行われていて、そこでは頭ごなしに否定から入るようなやり取りは一切ない。

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どうやったら上手くいくかをみんなが考え、応援してくれる空気がある。

オンラインサロンに限らず、仲の良い友達のグループもあるだろうし、家族ってこともあると思う。

暮らす地域のコミュニティも、機能すれば本当に心強い。

平和にならない世界で生きるために。

そういう場所、仲間、パートナー、コミュニティ、みんなにはある?

外でどんなに辛い目にあったり、汚い言葉に傷ついたりしても、「ここの仲間になら安心して話せる」という気持ちがひとつあれば、それだけで生きていけるんじゃないか?

仲間たちと思いを共有して心を整えれば、また外に出かけて挑戦できるんじゃないか?

そんな居場所としての「村」をもとう。

みんなが自分の村を持てていれば、たとてもう誹謗中傷は無くならない世界であっても、誰かが命を落とすことはなくなると思う。

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