わざわざでっかいスイカを作り続ける理由。
ついに今年も、僕らの「福賀すいか」のシーズンがやってきた。
昨年以上に天候に恵まれ、糖度検査も最高の形でクリア。
いよいよ収穫を迎え、全国のみなさんのもとへと届けられる。手応えがエグいだけに、楽しみでしょうがない。
ところで、食べたことがある人は知ってることだけど、「福賀すいか」はとにかくデカい。
どうやら世間では7kgとか8kgでも大玉というみたいなんだけど、僕にとってはそれは小さいほう。
10kg超えないと大きく感じなくなってしまっているのは、感覚がバグってるんだろうか。笑
市場の規格でおさまりきらないので、直販仕様として11kg以上の規格を独自に作ってしまうほど、とにかく「でっかく作ること」にこだわりを持っている。
ニーズにはどこまで応えるべき?
これだけデカいスイカを作りすぎてると、
もう少し小さいのはないの?
冷蔵庫に入らないじゃん
なんて言われることはしばしば。
ついこの間も、そんなに大きいのはいらないとバッサリ切られて凹んだ。笑
こういう声もある意味「ニーズ」なので、しっかり耳を傾けて今後に反映させるのも一つの在り方かもしれない。
でも、ニーズに応えると言っても限度があるし、僕らにも目指すものがある。そこにそぐわない人たちの感覚に合わせてもしょうがないというのが本音。
それはもうニーズというよりミスマッチなので、しっかり見極める。
ニーズばかり追いかけて方向性がブレてはいけない。
自分が目指す場所にそぐわない意見や声は、きっぱり無視するくらいがいいと思う。
では、僕らは一体何を目指しているのか。
なぜ、でっかいスイカにこだわっているのか。
大きいから、「分かち合える」。
10kg以上のスイカは、なかなかひとりでは食べきれない。
でも「ひとりで食べきれない」のが重要。
ひとりで食べきれないなら、誰かと分け合えばいい。
夫婦で、親子で、親戚一同で、友達同士で、職場の仲間で、ご近所さんで…
でっかいスイカを、分かち合って食べればいい。
小さいスイカでは、分け合った時のひとり分が少なくなっちゃうし、たくさんの人と分け合えない。
でっかくなきゃダメなんだ。
みんなが大切な誰かと分け合って食べられるように、僕らはでっかいスイカを作ってる。
逆に言うと。
でっかいスイカを食べるためには、一緒に食べてくれる誰かが必要になるということ。
もっと踏み込むなら、
スイカを一緒に分かち合えるくらい、自分以外の誰かを大切にして、ちゃんとつながっていないといけない。
家族や、友達や、仕事仲間や、ご近所さんを大切にしてちゃんとつながってる人がこそが、でっかいスイカを堪能できる。
大切な誰かをもっと大切にできる世の中に。
でっかいスイカをお腹いっぱい食べられるということは、それだけで人生が豊かなことの証明だと思う。
でも、もっと人生が豊かなのは
そのスイカを一緒に食べる”誰か”がいることだ。
スイカを一緒に食べることで時間を、美味しさを、喜びを共有できる。
そんな風に誰かとつながれているということは人生の豊かさの何よりの証明になる。
自分以外の誰かのことを大切にできる人が増えれば良いし、大切な誰かのことを、もっと大切にできる世の中になれば良いと本気で考えている。
そして、そんな世の中を作っていく力がスイカにはあると本気で考えている。
でもそのためには、でっかい”だけ”じゃだめ。
驚くほど、感動的なほど美味しくないと意味がない。
その驚きも、感動も、一緒に分かち合って欲しいから。
「感動的に美味しいスイカ」がでっかいということが大切。
「美味しい!」が「美味しいね!」に変わるから意味がある。
そんなスイカ作りをこれからも続けていくし、そんな人のつながりをどんどん作っていきたい。
最後に。
どんなにでっかいスイカでもひとりで丸ごと食べちゃうほどのスイカ好きな人が稀にいますが…僕はそんな狂ったようなスイカ好きの人のことを心から愛しています。誤解のなきよう。
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