不必要に怒りを掻き立てられていないか?

あらゆる情報があふれる現代においては色々な情報が入ってきます。中にはいらだたしいニュース、納得いかない情報なども入ってきます。SNSをやっていれば様々な情報が向こうから飛んでくる時代において、入ってくる情報に対処する術を求められていると思います。

コロナ禍の不満

コロナウイルスの蔓延により様々な不都合を強いられた生活を余儀なくされています。そのため人々の中には不満がたまっています。不満は解消しないと爆発してしまうでしょう。とはいえ不満を解消するような外出やショッピングも制限され、それすら困難にしています。コロナウイルスのように不満もまた蔓延しています。

怒れる情報

陰惨な事件、企業・国の不正不祥事、有名人の悪事…見聞きするだけ怒りがこみ上げてくるような出来事があります。メディアが発達した現代においてこれらの情報はあっという間に拡散され、SNSで共有され、人々の間で話題にされます。

そしてそれは前SNS時代にはなかった「炎上」という現象をうみました。人々の怨嗟の炎のごとく燃え上がります。一方で炎上は人の耳目を惹きます。それを利用した「炎上商法」も登場しました。

PVを稼ぐメディア

マスメディアは従来から広告を主体とした収益体制できました。新聞であれば多くの人に読まれれば、それだけ広告効果は高まり、広告収入が上がります。テレビもまた然りです。そしてインターネットメディアも同じように広告収益が主体です。

ただ、インターネットメディアの少し違うところはPVでその収益が決まってくることです。PVはページにアクセスした時点で発生します。極端な言い方をすればコンテンツは読まれずとも広告を表示させて、ユーザーに見せさえすれば収益をあげられます。そのためメディア側はユーザーにアクセスしてもらうと見出しの付け方やサムネイルを興味を引くような工夫をします。

コンテンツとして消費される炎上

これは個人の考えではありますが、最近は炎上がコンテンツとして消費されているのではないかと思っています。炎上自体はその人や団体の不道徳な行いが元に起こりますが、そこに石を投げる行為が、ある種のエンターテイメントとして消費されているように感じます。

これは先の不満の蔓延と相まってその矛先として、炎上に向けられているのが昨今の現象ではないでしょうか。燃やすことばかりにエネルギーが注がれ、本質的な議論は置き去りです。

怒りというダークサイドへの誘い

メディアが炎上を取り上げれば人々が話題にしてくれ、PV数も稼げます。炎上事件はメディアにとっては格好の餌場です。人々の怒りは、金を生むのです。

メディアが己が使命を忘れ、お金儲けのダークサイドに走るようになれば人々の怒りを焚き付け、火に油を注ぎ、自分の利益になるよう情報を利用するでしょう。

問われるメディアの使命、情報との向き合い方

炎上がコンテンツとして消費され、それを供給するメディアという構図は決して健全な状態ではないでしょう。石を投げる人に飢える人々とそれを利用して金儲けをするメディアなど見たくありません。

この問題は情報の発信・受け手両方に問われていると思います。

メディアは情報発信を通じて社会をよくしていく使命があるはずです。怒れる情報を報じるなとは言いません。スキャンダルも後味の悪い事件も、それがきっかけでよりよい判断の材料になったり、再発しないように取り組みが行われたりします。そうやって社会は良い方向へ向かっていきます。メディアは情報を消費されるコンテンツとしてではなく、その先にある大きな目的を目指すべきなのではないでしょうか?

一方で受け手も怒れる情報を受けとった時のコントロールを求められます。もちろん、黙って我慢することは求めません。渦中の人を批判しても良いでしょう。ただ、怒りに任せた暴言・中傷・理念なき批判は何も産まないでしょう。SNSで気軽に発信できるようになった現代は、受け手であると同時に発信者でもあります。その場の勢いで書いた言葉は後々何年も経った後に発掘され、自身が渦中の人になってしまうかもしれません。

情報で足元をすくわれないように

インターネットの発達はこれまでの情報の発信者と受け手の構図を大きく変えました。それまでの明確に分かれていた立場は今や曖昧なものになっています。受け手は氾濫する情報に流されることなく自律し、発信者は発信者として資質を求められると思います。

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