風景写真を撮る理由の様な言い訳の様なもの。
やややー、みんな元気だった?
最近はインプットをしたつもりになって満足していた痛い36歳です。南無。
さてさて、表題にもある通り風景写真を撮る理由の様な言い訳の様なものですが、なんでこれについて書こうかと思ったかというとですね。
とあるコミュニティで知り合った方がとあるSNSでこの表題についてお気持ち表明していたからですね。
そして、それは私にも当てはまりクリティカルヒットしたわけですね。痛い痛い。
難しいですよね。何かをやる理由。好きだからの一言で片付けていいのかどうか。
何故なら写真とは見る人がいて初めて価値が生まれるのかなと思うからですね。
もちろん、自分だけでも良いのですが。
自分が見た美しい景色を残したい。これは記録写真なわけで、特段作品への落とし込みはいらないわけです。
しかし、作品として風景を撮る際そこにはどんな思いがあるのか。難しいですねぇ。
皆さんはどうですか?何故動物を撮るのですか?何故その街並みを撮るのですか?何故その建物を撮るのですか?何故その風景を撮るですか?何故その車を撮るですか?
もしかしたら大抵の人はここまで考えて答えを出して終わりかもしれませんね。
でも、もう一歩踏み込んでみましょう。
何故その動物をその様に撮るのですか?何故その街並みをその様に撮るのですか?何故その建物をその様に撮るのですか?何故その車をその様に撮るのですか?
さらにもう一歩
何故その動物をその様に撮ると美しいのですか?何故その街並みをその様に撮ると美しいのですか?何故その建物をその様に撮ると美しいのですか?何故その車をその様に撮ると美しいのですか?
さらにもう一歩…さらにもう一歩…。
この細分化をしていって残ったものがもしかしたら自分の表現したい事なのかもしれませんね。
因みにわたしが何故風景を撮るのか。わたしにもわかりません。なんで撮ってるんでしょうね?なんで北海道の景色を撮ってるんでしょうね?
ここは今一度自分の写真を見直す時なのかもしれませんね。インスタに上がっている写真を紐解いていくと自分の何かを見つけれるかもしれません。
そうであってほしいものです。
え?そんな簡単にいかない?そりゃそうですよ。
それでも思考しましょう。そんなこと…と思われる行為にヒントが隠れているものです。
押して駄目ならで引いてみろ。
わたしは今一度、目を鍛えることを、視る力を養わなければならないのです。
あなたにはありますか?視る力。
何故?を細分化し、摘出。そしてそれを再構築する力。破壊と再生。
それは千差万別、答えはないのかもしれません。十人十色。美しいと思う物は人それぞれです。
人それぞれなんですから、可能な限り自分が見ている世界を他人と共有するために自分を見直して見ましょう。
そこにきっと何かがあるかもしれません。
知らんけど。
こんなくだらない戯言に最後まで付き合ってくれてありがとうございます。
それではまた逢う日まで生きてろよー
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