誕生日を過ぎても(4/20の夢)

誕生日。かつてあんなに楽しみにしていた日が、なんとなく煩わしくなってしまったのはいつからか。
それでも、60の還暦を皮切りに、人は再び誕生日を祝い事にする。生まれ変わって0からやり直すのなら、100歳だってまだ40の壮年か。
そうなると、91で亡くなった祖父も、まだまだ人生やり直すことを考えても可笑しくはないのだ。例えば私(の夢)の中ででさえ。

朱色の折りたたみ傘で、雨の中を祖父母宅へ。傘を玄関でたたみながら、この傘は母が昔持ってたような傘だと思い出す。玄関に貼ってあったか記憶の中なのか、幼い私と母親の写真を見て、この時の母親は今の私よりも若いのだと考えた。

濡れた服を脱いで、下着姿のまま居間で転がっていると、眠気が襲ってくる。隣の洗面室からは、母親が洗濯機を回す音が聞こえる。
やがておじいちゃんが帰ってきて、私はどこ行ってたん、と訊いた。
「                     」
なんとか答えたかはわからない。なんだかおじいちゃん、痩せたな。
昔は結構太ってたのに。
おばあちゃんは?と訊いてもそこも聞き取れなかった。

でも「今朝方は大きないびきが聞こえたわい」とおじいちゃんは言う。私と母はこの家に昨夜泊まっていたのだ。「お母さん口呼吸になってるんじゃない」と言うと、わしの世話で疲れとるんよ、と母をフォローするような事を言ってた。

すると、縁側の方から建築会社の人が来て、私は慌てて服を探しに2階に上がる。たしかに、建て替えをする前の祖父母宅の階段に似ていた。
目が覚めて思い出すのは久しぶりに聞く声と、おじいちゃんは、あの時私の中に入ろうとしていたのではないかということだった。

「三月も人も時々嘘をつく」という句に出会ったのは先々週。先週が、祖父の誕生日だった。

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