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一人でいるとき(クランベリーのエオルゼア観光日記43)

ここ1日2日体調が悪い。全身がだるくて何かをやろうという気力がわかない。金曜日の固定までに零式2層の予習をしないといけないし、困ったなあ、なんて思っているんだけど。

しばらく前からツイッターを見るのを辞めた。自分と周囲を比べがちなわたしは、あまりSNSに向いてないよなとずっと思っていて。ならまあ一度離れてみようと試している。

けれどこうやって布団から出るのがしんどいときなんかは、SNSの流れの中に身を置きたくなる。あれは周囲にたくさんの人が生きている錯覚を起こすには、もってこいの装置だったんだな、と思う。

エオレゼアにもいかず、布団の中でひとり天井を見上げたり、ぱらぱらと読む気のない本をめくっていると、こんなに孤独だったっけ、なんて考える。

元気のないときに聴く音楽は元気のないものになりがちで、たくさんの隙間に一音づつ丁寧に電子音を配置したようなエレクトロニカを聞いていると、昭和くさい畳の寝床の空気が気温以上に冷え込んで、行ったこともないロンドンの郊外にいるような錯覚におちいった。

誰かに「だいじょうぶ?」と心配されればどれだけ心地いいのだろう。そんな想像をするときに思い出すのは、仲のいいあの友人やかつて好きだった人だったり、ちょっとだけ気になるあの人だったりする。

けれど自分を好きになりきれないわたしには、今辛いんだよと言って無視されることは何より怖い。叶わないと知っている妄想はわたしをより孤独にする。

はやく夜がふけて、誰もが寝静まった深夜になればいい。誰にも期待しないでいい時間が来たら、ホラー小説でも読みながら、どこまでも暗い気持ちを呼び起こしたい。

なぜか怖いとか暗いとかの気持ちはとても静謐で安心する。たぶん、一人でいるときにしか感じることが出来ない気持ちがそれらで・・・でもなんで安心するのかな。

ぼーっとした頭でここまで書いて、これを誰かが読んてくれたとしてそれが何なのかと思うけど、日記とうたっているんだし、それでもいいかとも思う。明日には消したくなるかもしれないけれど。

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