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集団と個のルールについての雑感

 世界を成り立たせるルールについて考えた時、そこに2本の道が示されていることに気付く。

個のルール

 規則や定義は個のルールだ。法律やゲームなど、決まったルールに基づいて運用される。個のルールは定数があり、確定しうる。そこには始まりがあり、ルールが変更されると終わり、また新たなルールが設定されると再び始まる。区切りがあり、境界が明白に存在する。

集団のルール

 複雑系という科学が存在する。規模をどう取っても構造が同様というスケールフリー性を示す冪乗則、ネットワークの仕組み、人間の社会的行動やハチやアリの社会性、粘菌のふるまい、交通渋滞のふるまいなど、そこに多数の要素が複雑に関わる時に見出され、そこから規則性が示されうる。規則性を介して見れば集団は個のようにふるまい、個は集団の規則に沿って集団の一部であるかのようにふるまう。境界は曖昧になる。

ルール?

 個のルールと集団のルールは、どちらも規則として捉えられている。でも、これらの性質はあり方が明らかに違うのだ。個のルールは「ある」、集団のルールは「示される」。個には規則があるが、集団には規則性が見出される。働きアリの法則によれば、働きアリはおよそ2割がよく働き、6割が休み休み働き、残りの2割がサボっているが、働いている2割を取り除くと残りのアリの中から2割がよく働き、6割が休み休み働き、2割がサボるようになる。しかしこれは、アリが厳密に朝礼などで一生懸命働く当番を決めたり休暇を申請したりして運用しているわけではなく、結果的にそのようにふるまっているように観測される。

 規則と規則性は同一なのだろうか。

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