納得感

理解のための

 ひとは普通、理解するときに納得感を要する。自分が納得できることを、理解の条件としている。納得とは説明を真として受け入れる行為とも言える。

自然科学としての

 自然科学において、納得感は邪魔者である。納得感は、自分の脳内で電気信号が流れ快楽物質が出るという一連の閉じた系での現象であって、対象の観測に適合させていく自然科学の系とは直接の関係がない。例えば、光が波と粒子の性質を併せ持っているというのは直感に反するが、二重スリット実験の結果はそれを示している。観測を直感に反するからと否定するのは、目を瞑ってものを見るようなものだ。自然科学に納得感を合わせていくことには一定の意味があると思うが、納得と自然科学を同一視するのは、自分が自然科学を体現していると公言するようなものなので相当イタい。また、納得のみを根拠とする意見が通るのなら、それは公言している人を教祖とする宗教であって自然科学ではない。

方法としての

 上記のような前提を持った上で、自分の納得感と付き合っていけば、大きく踏み外すことが減るのではないか、と思う。

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