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書道を極めるということ

 私が書道を習い始めたのは、覚えている限りで小学一年生よりも小さい頃。小学校一年生の時には、学年代表で夏休みに書道の練習に通っていたのを思い出します。小学一年生でどれほどの文字が書けていたのかは記憶にありませんが、まだ、学校にクーラーのない時代。「あっつ!」と独り言を言いながら、汗を流して書道に取り組んでいたものです。課題は進まないし、暑いし、なぜ私が?と感じつつも、負けず嫌いな頑張り屋の小学一年生は書き続けていたのでした。勝ち負けじゃないのにね。と今の私なら言うかも?
 小学生の頃、書道だけは、どこに引っ越しても習い続けていました。思い返せば、「沢山の先生に習ったな〜」という感じです。父親の仕事の関係で、引っ越しも多く、行く先々で新しい教室に通いました。住むところの近くの教室を探すので、門派は様々。これがくせ者なのです。新しい門派に入っても、やることは同じ。毎月、清書を提出します。提出した文字の評価が良ければ昇級する仕組みです。皆様もご存知かもしれませんが、どの門派もほぼ10級から始まります。ということは、どういうことかと言うと、毎回10級からやり直し…ということです。どんなに頑張って昇級しても、門派が変われば、一からやり直し。それも、何度か繰り返すと慣れては来るものの、子供ながらに、少しショックでした。昨今では、門派が変わっても、前の教室で取得した級を活かしてくれるという計らいがあり、良くなったなと感じます。
 中学時代は、書道部というものがありましたので、私が表に出ることはほとんどありませんでした。書道教室も通わなくなっていた気がします。中学時代の書道の先生の顔が思い出せないので、きっと合っているでしょう。そして、同級生の達筆の学生に惚れ惚れしていたことを思い出します。「師範級の上手さ!この子の右に出るものはいないだろう」と思えるほどの達筆さです。私など足元にも及ばないなと敗北感を味わったのも中学生の頃でした。ただ、中学時代は美術に没頭することを覚えたので、同じ美術部の学生に張り合っていたことも思い出します。その彼も、足元にも及ばないくらい美術に長けている学生だったのですが、私のことをライバル視していたから楽しかったです。先生に可愛がられていたので、羨ましがられたのかも?という感じですが。先生が私の作品を入選させようと、私に色々と技術を教え一枚のポスターを仕上げていたので、悔しかったのかもしれません。いずれにしても、上手くできたら個人的には◎でしたので、問題なしです。
 話を戻しまして、高校生になると、再び書道教室に通い始めました。高校の頃も、自宅近くの書道教室だったのですが、その師匠は門派を嫌い、どこにも所属されていなかったので、自由に書道を楽しむことが出来ました。といっても、基本的なペン字に始まり、かな習字、毛筆と様々なものを練習しました。今、色々な書き方ができるのも、この師匠のお陰です。とかく細筆は簡単ではなく、なかなか上手く行きませんでしたが、抑揚をつけ、文字の一つ一つに表情を出すことを覚えさせてくれたのも、師匠でした。師匠は、とても温かみのある文字を書かれる方で、私はその文字がとても好きでした。「文字だけでこれ程までに、感情を乗せられるものなのか?」と、高校生の時には不思議に感じました。そして、「私もこんな文字を書けるようになりたい!」とも。しかし、「現実はそんなに甘くない!」なかなか思うようには書けないものです。今の私が思うに、文字を自分のものに出来ていなかったのだと。今では、文字の成り立ちや文字の流れをまず自分のものにすることで、最高に良い文字が書けることに気づいたので、それを実践していますが、高校生にはそこまでの思慮深さはなかったのでしょう。私なりには頑張っていたつもりですが、ここに来て、門派に属さないことが、指標が出ないということで…上手になっているのかどうなのか、自分でも判断できないのでした。高校時代は、こんな感じで自由な書道を楽しんでおりました。
 就職してからといえば、書道をする時間より制作に費やす時間が増えてしまったので、なかなか書道には戻れず。しかし、結婚して子供が生まれ、子供達が幼稚園に行き始めた頃に、子供と共に、再び学ぶ機会が巡って来ました。子供たちは、ご機嫌斜めな日も、母は横で真面目に書道。考えたら面白い光景です。ですが、待っているのも時間が勿体ないということで、再開したのです。その頃から、墨は硯でするようになりました。小筆を追求したいと、とにかく小筆でかな文字にトライ。書けるか書けないかは別として、とにかく書いてみる。自分のものに出来るまで書き込むというスタイルで。しかし、それも、年月と共に、居住地も変わり、大好きな師匠のところに行くのに1時間かかるようになってしまったため、続けるのも簡単じゃなくなってしまいました。
 起業してから、どこかに大人の書道を教えてくれるとことはないかと探してはいたものの、なかなか見つからず。がしかし、末娘が小学校に上がったタイミングで今の先生と出会ったのです。ご主人は警察官、しかも顔見知り…親近感も湧きます。しばらくは子供だけが通っていたのですが、ひょんなタイミングで、ご指導いただけることになり、今回は今まで真剣にチャレンジしていなかった太筆を追求しようと再び学び始めました。前項でも述べましたが、門派は…もちろん、新しいところです。「はい、10級から〜」ため息が出そうですが、「やるしない!」ということで、地道に2年かけて1級まで漕ぎ着けました。最初は10級から全く上がらないという、何とも微妙な話。上手すぎたら、上がらないらしい…と。意味が分かりませんが、上がらないものは仕方ないので、淡々と清書を出し続けるのみ。しかし、2017年に京都に引っ越してしまったため、しばらくは通信教育をしていたのですが、それも途絶えてしまい、1級止まり。また再開したいという思いもよそに、仕事の空き時間を見つけることが容易い訳でもなく、ますます時間が取れなくなってしまったのです。
 そして、末娘が香川に帰った2020年、これは「再開のチャンスです!」娘の夏休みの宿題に手本を書いて欲しいと頼まれた母。色々書いてみたけれど、納得が行かず、「書道の先生にお願いした方が早いかも?」と娘を口説き、娘は書道教室に通うことになったのです。「なんとラッキー!これは、一緒に再開できるじゃん。」な流れで、無事に再開となり、2020年末には、昇級試験で書いたこともない半切の書道に挑戦し、無事に「初段」を取ることができたのです。ただただ安堵…ここから先は、また簡単には進まないことと思いますが、極めるのみです。
 実は冊子の表紙のデザインなどもしています。
 デザイナーとは沢山の分野がありますが、私が手掛ける表紙作成は、あくまでも手作業で生まれる書との融合です。書道とは程遠いものに見えるかもしれませんが、使われているものは「和紙」と「筆(刷毛)」と「墨液」。表紙に使用しているのは金銀の墨液です。文字を書く時は、墨は硯で磨ります。濃淡を出すために、一回一回磨ることにしています。
 表紙に書かれているロゴ文字は墨を磨って色を出し、何度も書いたものの中からたった一文字を選びます。納得がいかないと夜中でも何度でもやり直します。
 最も心地よいのは墨を磨る時間。墨の香り、墨が減っていく様子、色が次第に濃くなっていく様等々…そして、和紙は墨との相性がとても良いです。子供の頃から使い慣れた薄い半紙も好きですが、作品にするためには、ある程度の厚みがほしいので画仙紙を使います。最近では色ものの和紙なども愛用しています。墨にも沢山の色があります。黒・白・ゴールドの墨は特に好きで愛用しています。私にとっての基本となる色です。前衛書道ともいえる不思議な感覚の書道は、作品を通してその方の心を打つものに変わることでしょう。

【fusenKazura.】
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