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終わりなき闘い〜Conflict〜

 「ものづくりとは闘いである。」と私は思っています。
 時代を遡ること40年…あっという間に月日は流れ、今ではものづくりを本業に出来るまでになりました。小学2年生で出会った手芸は本当に魅了される要素が沢山でした。縫製の楽しさを知り、完成する喜びを味わいました。一つ一つのパーツから出来上がるフォルムのなんと愛おしいことでしょう。そんな制作の日々を重ねた小学時代でした。徹夜を覚えたのもその頃ですね。
 小学時代、見様見真似で制作してきた洋裁から、中学時代を経て高専の時代に移る訳ですが、実は中学時代のことはあまり記憶にありません。記憶にあるのは、自分で着る洋服を作り、お出掛けの時に着ていたことくらいです。高専時代には、友人の持っているバッグがどうしても気になって、全く同じものを作ってみました。なんと、ブランドのマスコットであるネズミです。ネズミの形をしたぬいぐるみがバッグになったものでした。今では、あちこちで見られるぬいぐるみ状のバッグですが、30年前の当時では、まだまだ珍しい形でした。頭や手足は立体になり綿が入っています。お腹の部分は空洞で、ファスナーで開閉され中の物が出し入れできる仕組みです。その作り込みが面白かったのと、同じ物が欲しいという思いだけで、友達からネズミバッグを借りて、型紙を制作、縫製して仕上げたのを覚えています。真っ赤な別珍素材のインパクトのあるネズミバッグが完成しました。しかも、ほぼ同じフォルムで。もちろん、使用目的は自身で使用するものでしたので、色々許して頂かないといけないことも多いです…
 そして、この立体から学ぶものは各種ありましたので、当然、頭もフル回転状態です。
◎立体のものを平面にしないといけないこと。
◎綿が入る部分は、想像以上に大きな型紙になること。
◎ぬいぐるみとして作る場合とものが入る場合の作り方は違うこと。
◎ファスナーの取り付け方や方向を考えないと使い物にならないこと。
◎縫製の順番が普段と異なること。
等々、拾い上げれば沢山出てきます。
 ものづくりをする上で、いや、何事においても同じ考え方ですが、【一旦は真似てみる】ということ。これは、本当に大事なことだと思います。全く同じものを作ってみて、試行錯誤を繰り返し、そのフォルムに辿り着くという過程に学びがあり、それが経験となるのです。しっかり見て、しっかり考えないと、同じものは作れません。作り手の想いは細部まで行き渡っていますから、それを汲み取った上で真似るのは、相当な訓練が必要ですし、相当な時間もかかって当然です。しかし、一つのことに取り組む中では【とことんやること】【納得のいくまでやり続けること】です。そうすれば、完成できた末の喜びは感動ものです。小学生のころから培ってきた、この技も今では、当たり前のようにできるようになりました。真似したい程のモノは今でもいくつもありますが、簡単に真似できない代物も沢山あります。
 さて、時は流れ、高専時代も後半を迎えたころ、実は私、頑張って入学した高専を退学しようと決心したことがありました。え?と思われるかもしれませんが、どうしても洋裁学校に行きたい衝動に諦めが付かず、父に相談し、「高専3年の高校課程を終了しているので、専門学校に行かせて欲しい」と直訴したのです。父は、簡単に「いいじゃないか。お前がそうしたいなら行けばいい。」と言ってくれたのです。娘としては感謝の言葉しかありませんでした。早速、母と洋裁専門学校に行き、校長先生との面談でした。しかし、当時はまだまだ学歴社会でしたので、面談の折に校長先生から伝えられた言葉はこうでした。「高専4年生ということは、残り1年と何ヶ月かで卒業ですね。辞めるのはもったいない。学歴がある方が就職にも有利よ。」と。確かに、その通り。校長先生の仰ることに何の間違いもないと感じたので、その時は素直に学校に戻りました。再び、電気工学の勉強の日々。そんなある日、うちの母が、土日に通える洋裁学校を見つけてきたのです。見つけるのが上手な母は、いつも素敵なタイミングで素敵な案件を持ってきてくれます。見習わないといけません。
 そうして、高専に通いながら洋裁の専門学校に通い始めたのでした。毎週土曜日だけ開催される洋裁学校は高専生には都合の良いものでした。当時から高専は週休2日制、土日は完全休業でした。こういうところが国立の良いところです。お休みを活用して、本格的な洋裁を習い始めたのです。洋裁に関する初めての学び。今までは完全に独学。学びに行くなんておこがましいと思っていましたから、洋裁学校に行けるだけでラッキーです。週1回しかない学校とはいえ、習うことは本格的です。イラストを描き、作るデザインを決めます。決めたデザインから型紙を起こし、実際に採寸したボディとフィットするかどうかを確認します。更に、この学校の素晴らしいところは、特許を取得した専用の定規があることでした。この定規を使えば簡単に型紙が引けるのです。素人の私にも簡単に理解ができ、簡単に実践できたことには、本当に感謝しかありません。普通の洋裁学校は定番の型紙の引き方があり、決まった順序での縫製方法を教えてくれるに過ぎなかったと思います。そういう意味でも、新たな考え方を取り入れた洋裁に感動しながらの学びでした。
 洋裁学校では、婦人服の基本や紳士服の仕立ての基本まで細部に渡るまで今節丁寧に教えてくれました。生地の地直しに始まり、チェックなどの柄の合わせ方、肩パッドの入れ方やジャケットの襟芯の取り付け方など、聞くもの聞くものが新鮮で、きちんと覚えられるのか不安になる程でした。そもそも、特殊な定規を使っていますから、型紙の引き方が特殊でした。でも、流石に特許を取得しているだけあって、有能な定規を使っての型紙引きは後の洋裁に大きな影響を与えたことに間違いありません。当時の私は20歳。あれこれ頑張っていたのも、昔からなのかと思うと笑ってしまいます。
 洋裁学校に行っていた頃の笑い話と言えば、学院長に「あなた、今すぐパタンナーにならない?仕事紹介するわよ。」と言われたことです。「学生ですので、今すぐは無理かと…」の返答に対し、「あら、残念ね。」と終了してしまったことを覚えています。当時、その道を選択していたなら、また違った人生だったのだろうなと思うと、ちょっと楽しいです。
 こうして過ごしてきた高専生活5年間を無事に終了し、晴れて卒業となった訳ですが、電気工学科にしては珍しい公務員を選択してしまった私、年末ギリギリまで進路が決まらず、先生を不安にさせたものです。公務員を選択した理由、私の中で最も必要な条件としては【時間とお金と決められた休み】です。この条件をクリアできる企業がどれくらい存在するのか?電気の仕事がしたい訳ではない、なら、どこを選択するのか?という状況の中、上がってきたのが【公務員】でした。ただし、問題は山積みです。工学科の学生は一般教科の勉強は2年間で終わらせます。2年生までで高校3年間の学習を完了させるのです。法律などの法学は一切学びません。さて、どうする私…の状態からの公務員試験にトライです。教室の端っこで、机の下に法規集片手に、過去問題と睨めっこしていたことを今でも思い出します。選択式とはいえ、全く答えられなくて、ヤバイな…と心底感じていました。そうこうして受験した各種公務員試験の警察事務という職の合格通知は、心から嬉しかった思い出の一つです。父の警察官の友人から「警察も受験してみれば?」の一言がなかったら、警察職員にはなっていなかったかもしれません。とても懐かしい一コマです。警察職員としての13年間も人生の中の節目として、本当に多くのことを学ばせて頂きました。卒業校が特殊なこともあり、特殊な業務に着かせて頂いたり、人生経験の学びになるような部署に配属されたり、たった13年、されど13年の日々でした。人生の一番多感な時期に多くの経験と学びを与えてくれた過去があるからこそ、今の私が出来上がっています。何事も努力・忍耐・継続は若くても年齢を重ねても生きている以上必要なことだと改めて実感しています。
 そして、ものづくり40年の歴史において、「ものづくりとは闘いである」ということ。一つの閃きから生まれる作品は闘いの中から生み出されるのです。そこには沢山の試練があり、試行錯誤があり、想いがあり、そして闘いがある。自分との闘いは終わりなき闘いです。

 オリジナルブランドを販売し始めて、環境も生活スタイルも一変しました。そんな中、本物を見る機会も多くなりました。有名ブランドの展示会にも行けるようになり。数多くの展示会を見てきました。どの展示会も、「流石!」という言葉しか見つかりませんでした。ブランドが立ち上がった歴史や商品の生い立ち。その商品ができるまでのプロセス。一つ一つのパーツへの拘り。それは取り付け方法に至るまで。そして、それらを展示しているディスプレイ一つとっても拘りしか感じません。始めから有名だった訳ではないとういうことも、時代の変遷とともに振り返れます。デザイナー自身も変化すると共に商品も変化してきたのだと感じさせられます。そして、今もなお、愛され続けるブランド力に圧巻です。有名ブランドの変遷を見させて頂く中で、感じることは、「ものづくりは闘いであり、闘い抜かれたものだからこそ、今もなお愛され続けている。」ということ。同じものづくりに関わる一人の人間として常にRespectの心を忘れないようにしたいと思います。

【fusenKazura.】
https://www.akiyofujimoto.com

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