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挑戦と問題解決

 第2子出産、産休・育児休暇を明けて、高松北警察署に戻った私は、産休前と同じ部署で同じ業務に就きました。1年間の育児休暇を取ると…いや厳密に言えば1年間育児休暇、その後、職場復帰6ヶ月勤務後の1年間の休暇でしたので、概ね2年間実質の業務から離れていました。離れすぎると外勤での勤務がとても怖く感じるものです。対人に関してもそうですが、業務そのものを忘れてはいないか?法律は覚えているのか?法律に基づいた規則は覚えているのか?等々。気になることはいっぱいです。現場に帰ると即実践ですから、「ここ、どうだったっけ?」などと質問することは出来ません。「聞ける訳がない…」と青ざめていました。また、毎朝のぐったりが始まるのです。かなりうんざりです。ただ、自分の中では、「やらねばならない。」という思いだけで働いていましたので、家族のために何とか踏ん張ったものです。
 第2子は3月生まれです。ということは、単純に3月から復帰になる訳ですが、3月に復帰した私に対し、何と!4月に移動の内示が届いたのです。「まさか?」と思いましたが、そこに書かれていたのは同期の女性の名前ではなく、私の名前。「本部情報管理課企画指導係への移動を命ず」と記されておりました。高松工業高等専門学校(現:香川高専)を卒業したこともあり、情報系・技術系の職務が適しているということだったのでしょうか?今思えば、人事課の人は、人となりや特質、役割をよく観察していると思います。
 そうして、情報管理課勤務が始まります。「情報管理課って、何をするところ?」と思われる方もいると思うので、簡単に説明しますと、警察業務で活用するシステムの開発や維持管理を行う部署です。また、警察業務に関する情報の管理運営を行っています。そして、それらシステムを使用する警察官・警察職員に対し指導教養を行うのも業務の一つです。私が担っていたのは、この中の指導教養と企画部門です。当時は、補佐、係長、私の3人。たった3人の一人だなんて、何て荷が重いことか…と思いましたが、これも定め、やるしかないのです。
 まずは、企画のお仕事です。予算計画を立てるために事業の企画を立てます。企画を立案し、それに必要な予算を算出します。次年度の予算案として審査を通すために必要な要件を整えていきます。審査が通れば翌年は予算の範囲で実施していくことも重要なお仕事です。
 さらに、警察本部及び県下の各警察暑に対して、情報管理に必要な知識・情報を提供して行かねばなりません。そして、教養とは、教養計画を立て、立てた計画に従い指示書を作成します。作成した指示書を各課各暑へ出します。調査結果を取りまとめ、次に実施計画を立てていきます。実施計画に基づいて実際に教養をしていきます。なかなか気が遠くなりそうな流れです。
 職務において実施した教養は、「パソコンの使用方法基礎」「簡単な公文書の作成方法」「簡単な表計算ソフトの使い方」「応用・統計表の作り方」などでした。過去に、私自身がパソコンを使った経験は、卒業論文を書いた時のみ。電源の入れ方もままならず、文章の作成なんてもってのほか、そんな大層なことができるはずもない人でした。ここで、問題です。では、なぜ私が教える立場に成れたのか?指導者になれたのか?
 当時は3人で一つの係を担当していましたが、3人の一人である補佐は統括の補佐をしていましたので、3つの係を持っていました。ということは、基本的に業務の従事するのは2人。そう、係長と私。異動になって直ぐに補佐に言われたこと。それは、「ここの前任は何でもしていましたよ〜。教養も自ら率先して実施していました。」「ん?嫌みですか?」「ん?試していますか?」と若い私は、素直に受け入れるというよりは、反発芯剥き出しで「はい」と返事をしたものです。そうすると、決まって私の負けず嫌いが頭角を表してきます。後は、只々やり切るだけ、そして努力あるのみでした。
 ここで、自分に課した課題は次のとおり
①誰よりもパソコンを使えるように
なること。
②パソコンの資格試験を取得すること。
③各種指導書を買うこと。
④マニュアルを自分で作成するための知識を習得すること。
⑤マニュアルを自作すること。
⑥作成したマニュアルに添って講座を作ること。
⑦講座を2時間で完了するよう組み立てること。
⑧実際に教壇に立ち、講座を完了させること。
⑨教えた人が、マニュアルで作成したフォーマットを使えるようになっていること。
これを、3ヶ月でやる!です。
 1年掛けていたら、パソコンの配布に間に合わなくなります。配布に併せて、それまでに最低限の知識が身についていることが条件だったのです。なかなか過酷な業務ではありましたが、誰よりも使えるようになること。そして、アウトプットすることが前提であるからこそ、間違った情報であってはならないし、使いやすい共通言語を取捨選択し、質問が来たら答えられるようにしておく。という仕組みを作りあげました。このことが、何よりも自信につながったのではないかと思っています。負けず嫌いが功を奏すと、人間はここまでやり切れるのです。
 異動直後に補佐から言われた一言がなければ、「ここまで頑張っていなかったかも?」とちょっと笑い話です。この時に培った知識も技術も一切無駄にはならず、今でも役に立っています。精一杯やり切って実績を作り上げるというのは、本当に自分の血肉となって一生ものとなっています。時の補佐に感謝です。
 嫌味満載の補佐は、いつまでも嫌味だらけでした。と感じていたのは当時の私ですが、本当は、思いやりがあって、人を育てるのが上手な上司だったのだと今なら思えます。次の課題は「君、プログラムは組めないの?」でした。
 高専時代もプログラミングというものが大の苦手だった私には、相当過酷でしたが、これは、開発担当がいたので、敢えて必死で取り組むことはしませんでした。プログラムそのものを理解構築することよりも、開発担当と業者の橋渡しをするのが私の仕事と捉えていたので、プログラムを組むことではなく、構造を知り、理解した上で、必要な情報のやりとりができるように勉強するというものでした。後に、予算計画を立てるときに役に立ちましたし、運営サイドの仕事をした折にも十分役に立ちました。
 更に、企画指導係は常に事務所にいます。従って、問い合わせの電話対応も必然的に受けるという流れになります。窓口担当が誰なのか、問い合わせてきた人には関係ないので、【何に対しても答える】というスタンスでした。と言っても、問い合わせといえば、運用係に関するものがほとんどです。「パソコンが起動しない」「印刷物がでない」「LAN回線の問題」等々です。
 即時対応を必要としますので、知識も必要ですが、質問の都度、積み重ねて調べていくしか方法がなかったのも事実です。方法としては、
①分からないことは、まず、自分で調べる。
②調べた上で、疑問点を確認する。
③自分の中で解決しない場合には、上司に確認し、解決策を調べる手段を聞く。
④解決案に基づき更に調べる。
⑤疑問点を解消し解説策が見つかれば、問合せ先に回答する。
⑥現場で解消できない場合には、現場に赴き、解決策を教示する。
この繰り返しです。
 これは、この部署に限らずどんな【問題解決】でも同じ手段だと思っています。人に頼ることも大事ですが、まずは、自分で考えることの重要さ考えないといけません。そして、アウトプットすることの大切さです。正しい情報を正しい形で伝える技術、正しい形で受け取ってもらえる技術です。
 こうして、私は企画指導係なのに、運用係のお仕事も率先してお手伝いをしました。ただし、上司に叱られたこともしばしば…「他の係りの仕事をするな!」と言われましたが、そんなことを聞く私ではありませんでしたので、自分の知識と技術の習得だと思って何にでも取り組んだものです。「これを知っておかないと質問に答えられない!」という勢いで上司のお叱りも気にせずです。相当使いにくい部下だったに違いありません。これが、25歳の若僧でしたから、大変です。
 LANケーブルを作ることも学びました。先端の色、順を間違えたら情報は流れない。「ふむふむ、なるほど!」と感心しながら実践し、いつでもどこでも、すぐにケーブルを作れるようになっていました。最長何メートルまで、何階層までは良い。「はいOK!」自問自答しながら作業していたのを思い出します。全てを読み間違えると、全く機能しないものになるから厄介でした。警察本部は6階建、各フロアにメインになるハブがある。そこから次のハブへ…図解と実際はなかなか沿っていないように見えるのも床下のことだから仕方ありません。線だらけ…床に這いつくばって奥を眺めて探して繋ぐ。「やれやれ…」と毎回ため息をこぼしながら、片方ではウキウキしながら楽しんでいました。本当に楽しい情報管理課勤務でした。他にもまだまだ重要なお仕事をこなしていましたので、続きはまた次回に…
 何事も経験と知識を地道に積み重ねることを学んだ25歳。叱られることもあり、途方に暮れられることもあり。しかし、めげずに挑んだ年月でした。

【fusenKazura.】
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