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パンツではありません、かばんです!物販記録vol1 2005年

私は思い出した。
つくづく男運が悪い。
元々前向きなのか、頭のネジがどこか飛んでいるのか
いやなことは忘れてしまっていた。

インターネット黎明期にやったこと

大学を中退し、最初にやった仕事は、ホームページを作る仕事。
当時は会社の作り方や相手へ請求書をだしてお金をもらうとかすら
世間知らずでわからず、そんな私に会社の経営について教えてくれる人物がいた。のちに共同経営者として一緒にリフォーム会社を運営することに
なる人物である。

ここ数年間、私は記憶の中からこの人物を抹消していた。
そして、その時期に自分が何をしてどう生きてきたかも抹消していたし
人に話すこともなかった。
話すと、思い出して、辛くなってしまうからだ。
しかし、ここ5年ほどで、この辛かった時代は、一つの貴重な経験として捉えることができるようになった。
辛い事は、人に少しでも笑いに変えて話せるようになれば
消化したってことなんだろうなと思うようにった。

ホームページを作る仕事は時代がまだまだ黎明期で、ホームページって何?時代だったが、急速にインターネットが伸び始めた時代だったので
非常に順調だった。最初は電話で案内をして契約をもらうのだが
ほぼ90%位の成約率。

同時並行で、携帯電話の公式サイトのコンテンツ提供の仕事も始めた。
またこの話は改めての機会に。

ホームページの仕事に関していえば
親から買ってもらった富士通のパソコン1台で
仕事を始めた。

そして黎明期なので、ホームページの作り方を教えてくれる人もおらず、仕事を受けてから本を読んで覚えて作って納品をするを繰り返していた。
その後、ホームページが必要な業界は、堂々と宣伝ができない特殊な業界なのでないかと気づき、風俗店のホームページを作り、その後は、作ったホームページをひとまとめにした、MEDIAのようなものをつくった。

まあ、やっていく中で本当に色々面白いネタがあるのだか
あんまり公共の場で話せないこともたくさんあるので、、こういう話は
限られた空間でいくらでも話そうと思う。

静岡に移住。怪奇現象に遭遇、そして暗黒時代に突入

問題はここからだ。
私はその頃名古屋に住んでいたのだが、静岡に顧客が増えた関係で静岡へ移住をすることにした。
前に出て来た共同経営者にそそのかされたからだ。

後に判明したのは、その人は、いろんなところの代金とか踏み倒していたため、名古屋にいれなかったのだ。都合よく世間知らずで一生懸命仕事をする若者が現れたので、いいくるめて、静岡へ引っ越すことにしたのだ。

静岡へ引っ越してからは大変だった。
まず、変な怪奇現象には遭遇するし、もともと肌が弱かったのだが、
さらに悪化し、全身ミイラみたいに包帯をしないと表へでれないほどアトピーが悪化。気が狂って自分で髪の毛をバリカンで坊主にしたり、
本当に大変だった。

幸いにも、引っ越しをして風通しが良い場所に引っ越したらアトピーは回復した。

しかし、もっと大変だったのが、学生時代5つアルバイトを掛け持ちし
いつかイギリス留学へ行こうと思い大事に貯めてきた300万円を
騙しとられてしまったことだった。

免許の更新が必要とかで80万円。
後は車がいるとかで、100万円。
私がやらかしたトラブルの解決料で50万。
そしてなぜか家賃や引っ越し代も自分が支払っていたので、みるみるうちに残高がなくなった。ホームページの仕事でお金が入ってもすぐになくなり
家賃を払ったら、お金が全くない状態だった。
ちなみにお金はすぐ返すと言われたのだが、いまだに返ってこない。

後に分かったことは、パチンコ代とかに使われていたということだった。
お金を稼がないと、家賃も払えん、食費も払えない。
そして自分でお金をつかったくせに、カネが無いといって怒ったり
暴れる共同経営者。飼い始めた猫にも暴力をふるいだしたので、私は全力で猫を守った。
パソコンで一生懸命だれかのホームページをつくっていたのだが、人の話を聞いてないとかで怒る。
灰皿やらいろんなものが飛んでくるが、ホームページを作らないと
納品できない。納品しないとお金にならないのだ。

また結構ホームページつくったり、特に私は文章やお店のキャッチコピー考える時にはかなり集中しないといけない。
その時は、いわゆるゾーン状態なので、話が聞こえないのだ。
灰皿が頭にあたり、パソコンにあたり画面がわれ、初めてなんか言われてたことに気づくような日々を過ごしてきた。

モノを売ってみることに目覚める

これじゃあ、集中して仕事もできないし他のこともできるように探そうと思い何ができるかと考え思いついたのは、フリマとかで物を売ることだった。
アルバイトにでも行こうかと思ったのだが、私がいないときに猫を捨てそうな勢いだったので怖くて表にも出れなかった。
フリマだったら売れたらご飯代くらいにはなるだろうし、とにかく今を乗り切らなければならない。数千円でもお金があれば、共同経営者は落ち着く。

そして、何を売るかを模索した。家にあるものとか自分の持ち物でうれそうなものは全部売ってお金にしてしまったからもうまともなモノは残ってない状態だった。

そして、偶然にも【ボロ】と言われる廃品回収で回収してきた服を1キロ100円で売ってくれるよ。と言われる場所のことを知った。
私はそこへ行き、1キロ分だけ服を買った。ジーンズとか買うとすぐ1キロなので、薄手の服だけを購入し、週末500円で出展できるフリマを探し、
申し込んだ。

ブースにお客さんが殺到

そして当日。けっこうお客さんがきて、初めてのフリマでは
2万円くらいになった。


ゴミの中にあった、新品の下着類(服屋さんからが廃業するから破棄したパンツとか)が近所のおばさんに大人気。
グンゼのパンツやシミーズを取り合って、現場はカオスだった。

私が自分のバッグを下げていたのだが、それまで持っていかれそうになった。どうやら白いバッグだし、パンツに見えたらしい。

これは、違います!パンツではなくて、かばんです!!
こんな日本語きっと私くらいしか使ったことがないだろう。

売上は自分の元には1000円くらいしか来なかったけども、
とりあえずしばらくの間はおとなしくなってくれるので、それだけが救いだった。しばらくは同じような状態で
ホームページを作ったり、フリマに出したりしてなんとか乗り切った。

そしてその頃、携帯電話に、パケ放題というサービスが登場。
そのサービスの登場とともになのか、モバオクというネットでモノが購入出来たり売れたりするサービスが始まった。

モバオクをきっかけとして、私のオンライン物販が始まった。

次回へ




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売り方・見せ方コンサルタント おじろゆみ
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