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【#262】勇気づけられる(メッセージの断片集85)

6月16日(日)の様子

 大学院生のY君は、先月から夜勤のアルバイトを始めました。土曜日の夜に明日バイトが入る時は、パワーポイント操作の奉仕は岡山から来ている大学生のH君が担当します。1回目の時は、ページめくりが少し遅れる時もありましたが、2回目の16日は順調に操作してくれました。1度、次の賛美の歌い出しの時にうっかりしてついていけなかったこと、メッセージの時にフライングで早くに画像を出したことがありましたが、充分な許容範囲です。H君、よく頑張りました。

 この日は父の日ということで、壮年の皆さんのために祝福をお祈りしました。「男は敷居を跨げば七人の敵あり」という言葉は、もう時代にそぐいませんね。「目をさましていなさい。信仰に立ちなさい。男らしく、強くあってほしい」という Ⅰコリント16:13にある「男らしく」は新しい訳では「雄々しく」となっていました。

 TOP画像は、霧多布岬です。私も分かりませんでした。難易度高めですね。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクッリクするとメッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

神を認める

 パウロの信仰姿勢は、後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進むものです。後ろのものを忘れというのは、いろんなことを引きずらないということでしょう。パウロは嵐にあったこと、船も持ちも物も全部失ってしまったことを、引きずりませんでした。むしろこの状況の中でも、神が備えているものがあると、そこに目を留めて神を認めてきました。その結果、神の備えや御業を体験し、主に感謝を捧げています。

 自分が遭った不幸、悲しみ、人の悪や罪を、引きずっていないでしょうか。過去のことを引きずったまま生きていると、今も未来も希望ではなく自ら失望を持ち込んでいることになります。後ろではなく、前のものに向かっていく信仰を持つ時、私たちが通ってきたところにも主が共におられ、主の備え、主の働きがあると主を認めていく時、私たちの人生にも感謝が満ちていきます。

お互いに勇気づけられる

 人を迎えに行く時、どこまで迎えに行くでしょうか? 妻は私が出張に出かけ始めたる当初、車で40分の女満別空港まで送ってくれました。飛行機にトラブルがあっては困ると、飛行機が飛び立つのを待ってから帰っていたそうです。ところが今や、車で5分の北見の駅まで送ってくれて、私はバスに乗って空港に行きます。ある時は、私を降ろしてキャリーバックを降ろしていないのに、発進しかけたことがありました。勘違いしないでください。文句を言っているわけではありません。駅まで送迎してくれるというのは、感謝なことです。

 ここで驚いて欲しいこと、それはローマの兄姉がわざわざ歩いてパウロを迎えに来たということです。アピオ・ポロはローマから約70km、トレス・タベルネは約53km離れているのです。「別に出向かいに行かなくても、パウロはいずれ来るのだから」とも言えたかもしれません。それでもローマの兄姉たちは、パウロを迎えに行かずにはおれなかったのです。3年前にロマ書を受け取り、何度も何度も読んだことでしょう。祈り合っていたからこそ迎えに行かずにはおれないし、初めて会ったにも関わらず、お互いに勇気づけられたのです。

 神の家族である私たち兄姉は、お互いを非難し、裁き合うためにいるのではありません。私たちは共に祈り合い、神の言葉を土台として、お互いに勇気づけられる、それが主の教会なのです。私たちはお互いに勇気づけられるために存在しているのです

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。


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