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【#208】神の国の喜び(メッセージの断片集65)

2月11日(日)の様子

 この日の礼拝に、久しぶりにMさんが集われました! いつもライブ配信の礼拝を仕事が終わった後に見てくださっているとのこと。お元気そうな様子、変わらない笑顔、ざっくばらんとした会話、同時に真摯な言葉。いつの間にかお孫さんもおられるようで、目尻を下げながら教えてくれました。とても嬉しかったです。

 午後の虹の会(三浦綾子読書会)で、「一途に精いっぱい生きて来た陽子の心にも、氷点があったのだということを。私の心は凍えてしまいました」という言葉が話題になりました。「自分の氷点」を知るということの大切さなどが分かち合われました。妻はその日の夜「『自分の氷点』もそうだけど、『自分の沸点』を知ることも大切だと思った」と言うのです。本当にそうだなあと、大きくうなずきました。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックするとメッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

罪が赦された喜び

 「最大の罪は、罪の意識がないこと」だと言われます。私は年に何度か、「お前はお前が思っているほど、良い人間じゃない」、「良い牧師でもないよ」と、様々な出来事を通して、ガツーンと主なる神から示されることがあります。本当にそうだなあと思わざるを得ません。偉そうに言っているけれど、どんなに言い訳しても繕いきれないものが自分の中にあります。主の前に頭を垂れる以外にありません。ただ、自分が上手くいっている時よりも、他の誰でもない自分の罪を悲しむ時、主の愛が迫ってくるのも事実です。

 誰か他の人の罪ではなく、自分の罪が大きいと知っている人は幸いです。なぜならその人は、その大きな罪を赦す大きな神の愛を知るようになるからです。誰か他の人ではなく、自分の罪の深さを本当に知っている人は幸いです。なぜならその人は、その深い罪を赦す、もっと深い主の愛を知るようになるからです。礼拝をささげる中で、自分の罪を赦していただいた愛の大きさを知ることができます。初めの愛、罪が赦されている、そして赦され続けていく喜びに生かされていきましょう。

献げて仕える喜び

 ヘロデの執事とあるこのヘロデは、バプテスマのヨハネの首を切ったヘロデのことです。そのヘロデのすぐそばにいる執事クーザの妻がヨハンナだったのです。極悪非道なヘロデの身辺にも、神の国の福音が及び、救われる方々が起こされていたのです。自分の地位、自分の名誉、自分の財産を築くことにあくせくしている世界に、むしろ自分の持っているものを主イエスに献げますという、神の国の喜びが広がっているのです。一番尊い、宣教の働きのために、人々の救いのために、喜んで献げる人が起こされているのです。

 自分のためだけの日々、自分が得ることだけが中心で、寝ても覚めても自分のことばかり考えているというのは、塩水を飲むようなもので苦しいものです。神の国に生きる者は、主イエスのために献げて仕える喜びを持つことができるのです。私たちの命は、受けるだけではなく、献げることによって完全燃焼していくのです。小さなことも愛を込めるなら、それは立派な献げものです。主が喜ばれます。主の喜びを知る時、私たちの霊、心の深みも、喜びが満ちていくのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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