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【#187】お母さんはどこ?
翻訳ソフト
今週水曜日(12/20)の祈祷会は、ブラジル出身で雪国絶賛デビュー中のR神学生が、zoomを通してショートメッセージを語ってくれました。ポルトガル語が母国語なのに、日本語で語るってエライなあと思います。
最近は翻訳ソフトもかなり充実しているので、ポルトガル語で準備をした後に日本語変換をしているようです。しかし翻訳ソフトはあくまでも翻訳ソフトで、TPOまで理解して訳してはくれません。私が原稿を確認する時は、日常会話では使わない論文調の固い表現もあり、「ああ、翻訳ソフトを使っているなあ」とよく分かります。それは私がメッセージのポイントを英語や中国語に変換する時も同じことが起こっていて、ネイティブの皆さんにとっては少し違和感があるだろうなあということもよく分かりました。
▲ R神学生の紋別での様子をFacebookで見ることができます。
お母さん、お母さん
そのR神学生のメッセージの中で、皆さんで大笑いし、私のツボに入った例話がありました。正確ではありませんが、だいたい下記のような内容です。
「絶えず祈りなさい」と聖書は教えています。例えば、私はよく「お母さん」「お母さん」とお母さんを呼び、お母さんと話をするようになりました。反抗期の時は嫌だったのに不思議なものです。
ある時、お父さんから「あなたはいつも『お母さん』『お母さん』と言っているね。どうして『お父さん』のことは呼んでくれないの?」と尋ねられた時がありました。そこで私は言いました、「お父さんのことも呼んでるよ。ついさっきも呼んでいたよ。『お父さん、お父さん、お母さんはどこ?』って言ったよ」と。
祈りとは
面白すぎです! ただR神学生は「お母さん」を呼ぶことを、主なる神さまと交わる祈りに例えていましたが、私はこの例話によって祈りの別な側面を教えているように思いました。それはR神学生がお父さんを呼んでいるようで、実はお父さんではなくお母さんを探しているように、私たちが主なる神に祈っているようで、主なる神ではなく他のものを求めていることも多いのではないかということです。
祈祷会にzoomで参加されていたAさんが、以前に私が礼拝メッセージの中で「祈りとは、主なる神の方を向くことです。祈りとは、主なる神との交わりです。祈りは、いのちです」と語ったことを思い出したそうです。私はその言葉を聞きながら、自分が語ったメッセージなのですが、改めて「その通りだ!」と思いました。
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クリスマスの中心
さあ、明日はクリスマス礼拝です。北見ではロウソクに火を灯してのキャンドルサービス(燭火礼拝)です。紋別ではR神学生が雪国で初めてのクリスマスを迎え、礼拝と祝会の奉仕をします。「天候が荒れるかも・・・」と少し心配していましたが、オホーツク地方は大丈夫のようです(TOP画像は12/17の夕方)。クリスマスの中心は、イエス・キリストです。キリストの方を向き、キリストと交わり、キリストによって生きる力が与えられ、救い主の光が集われる方々に灯されていきますように。
今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。
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