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【#88】日の昇るとこから(メッセージの断片集28)

4月23日の様子

 まだオホーツク地方に桜前線は到達していませんが、主の復活を覚える主日礼拝(主の日の礼拝)を喜びながら、紋別の皆さんとライブ配信で結びながら一つになって捧げました。

 礼拝後に、広島のAさんからのお土産、そしてMさんが出張の時期に足を伸ばして岩国まで行かれたお土産を、皆さん一つずついただきました。礼拝を捧げることも喜びですが、皆さんと祈り合える、祝福し合える、そしてお土産ももらえるって、嬉しいですね。

 午後から清里町のオホーツクブランチ礼拝で、イースターをご一緒にお祝いしました。初めてお会いする方もおられ、一緒に食事もいただきながら楽しくお交わりもできました。お久しぶりの方もおられ、髪型のせいかイメージも変わっておられ、来られるのを聞いていなければ、マスクもしているので誰だか分からなかったかと思います。知床の付け根の地で、12名で復活の主イエスを仰ぐ幸いな夜となりました。

 Mさんも一緒に行かれ、真実な証しを語ってくださいました。Mさんのお住まいは北見の一番西にある場所(約40km)で、清里町は北見から反対方向の東へ向かいます(約75km)。Mさんは2つの礼拝のために、1日で往復250kmを移動していることになります。頭が下がります。

 西から東、そして東から西へ移動したMさん。そして日曜日の主の日は、日の昇るところからその沈むところまで、全世界で主なる神が礼拝されるその輪の中に、北見、紋別、清里町の私たちも確かにいる1日となりました。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックするとメッセージのエッセンスを250字で読めます。

神は世の初めから教会を計画された

 教会の歴史を知ることはとても大切です。そして同時に知っていただきたいこと、それは世界が造られる前から、教会に対する神の計画がまずあったということです。エペソの教会から世の初めから愛をもってあらかじめ定められていたように、紋別や北見の地域に福音が届けられる前から、神の計画があったのです。たまたま、教会があるのでも、たまたま皆さんがいるのでもありません。主の教会は、世の初めから神の愛によって、あらかじめ計画され、今も、私たちは神の計画の中にあり、これからも神の計画の中を進んでいくのです。

教会の将来は栄光に満ちている

 主イエスがおられる天の御国に、私たちも共にいるようにしてくださると、他の誰でもない、主イエスがそのことを願い、祈られたのです(ヨハネ17:24)。私たちはこの世にあっては患難があります。痛みもあります。しかしやがて主の教会である私たちは、目の涙をことごとくぬぐい取ってくださるお方に出会うのです。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もありません。栄光の主イエスと顔と顔とをまみえる、栄光に満ちた将来があります。

▲ 先週、私の出張中に北側の雪は完全に解けてなくなっていました。(2023年4月22日)

教会は悪に打ち勝ち、栄光を現す

 マタイ16:18に「わたしの教会」とあります。教会は主イエスの教会であり、北見も紋別も主の教会なのです。そして「わたしは…建てます」とは、主が教会を前進させてくださるということです。そして「よみの門もそれに打ち勝つことはできません」とは、主イエスの教会は悪に打ち勝ち、主の素晴らしさにあふれていくということです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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