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【#56】NGワード

▲ TOP画像は本文と全く関係ありませんが、3年前の今日、紋別へ礼拝奉仕に行く途中、車外の温度が「-27.5℃」になっていたものです。オホーツク地方はロシアではありませんので、念のために。(2020年2月9日)

NGについて

 NGとは、〝No Good〟の略だそうです。テレビなどのNGシーン、NGワードというように使われ、「駄目、失敗、良くない」という意味だということはよく分かります。しかし英語がネイティブの方々は、〝NG〟という言葉を使わないようで、略すことなく"No Good”と言うそうです。日本では通常の〝NG〟が、海外ではまさかの”NGワード”だったとは驚きです。

私自身のNGワード

 自分では使わないようにしている言葉、言い回し、表現、〝My NGワード〟を私は幾つも持っています。記録しているわけではないので、他にもあると思いますが、記憶している範囲では以下のようなものがあります。

■ 傷ついた、つまずいた
 この言葉を口にした時点で私は絶対被害者の地位を確立し、目の前の相手を加害者に仕向けていくことになります。傷つくのも、つまずくのも、生きているからこそだろうと思います。ある面、自分は傷ついて当たり前と思っていたいのです。誰かを傷つけてもいい、つまずかせてもいいということではなく、あくまでも自分のことです。もちろん深い傷、倒れ込むようなつまずきは辛いものですが、きっとそこにドロローサの道を歩む主イエスがすぐそばにおられるのでしょう。

▲ 北海道のみの方言かと思いきや、もともとは岩手県の言葉のようですね、
「頑張れ」という意味です。人と状況によっては、
「頑張れ」と言われたくないとも聞きますね。

■ そうなると思っていた
 誰かが失敗した時や間違いを犯した時に、「だから言ったのに」「そんな気がしていた」と言ってみたくなる気持ちはよく理解しています。でもそれを言っても、何にもならないでしょう。「そうなると思っていた」のであれば、どうして全力でそうならないようにしてあげられなかったのか、そのことを悔やむことが愛に近いような気がします。痛みを共有することから次のステップが始まるのでしょう。

■ 生き様
 ある方が「死に様」に対する「生き様」と話していたので、使わなくなりました。その後、よくよく調べてみると、死に様と生き様は、特につながってはいないようです。それでも「生き様」という言葉が使われる時に気負いのようなものを感じ、肩こりを覚えるような気がするので私は使いません。

■ 美学
 もちろん学問としての美学ではありません(美学が専門の今道友信氏の『人生の贈り物――四つの物語』は、飛行機の中で読んでいて感涙にむせびました。現在、大学生に貸し出し中です)。私のNGワードとしての美学は、美しさに関する独特の考え方や趣味のこと。「男の美学」というような使い方。ナルシシズムの塊のように感じています。

NGワードのNGを超えて

 他にもないわけではありませんが、紹介できるものとしては上記の4つぐらいでした。きっと後日、お風呂に入っている時などにふっと思い出すのでしょう。

 自分自身が口にしないNGワードを持っていることは、自らの慎みとしては良いものだと思っています。しかしやっかいなことは、自分がNGワードとしている言葉を他の誰かが使った時、その言葉にやや過敏に反応してしまうことです。そしてもともと小さな寛容さがさらに小さくなってしまい、その言葉にこだわることで、その人自身の思いを深く汲むことができなくなるという〝No Good〟があります。

 きっと〝No Good〟よりも、〝Goodness of God〟に目を向けていく時、様々な〝NG〟と思われるものが包まれていくのでしょう。いつか歌いやすく、歌詞の深いところを汲み取った訳で、みんなと歌いたいと願っている賛美に〝Goodness of God〟があります。私は一昨年前、この賛美を下記の韓国の方々が歌う動画で知りました。 

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。


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