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【#179】救いの恵みは深まる(メッセージの断片集58)

12月3日(日)の様子

 この日は、アドヴェント第1週の礼拝を捧げました。久し振りの方々も集われ、嬉しかったです。また礼拝の中でMさんが証しをしてくださいました。諦めそうになった時も、それでも主に祈り続け、励まし合いながら、祈り合いながら、新しい職場の内定を得ることができました。主の名を呼び続ける者を、主は無視されることはありません。またこの待っている間も、Mさんの内に大切なものが醸し出されていくひと時となったことでしょう。皆さんで心からエールの拍手を送りました。

 礼拝後は、2時から始まる虹の会(三浦綾子読書会)で、『雪のアルバム』を読みました。生きているのがけだるくなり、おぞましくなるような思いも抱えながら、清美は赦されることを知り、母を受け入れていくようになっていきます。「二十二歳の十二月のある日のこと、私は思いもかけないことに出会ったのです」という文章で読み終え、「気になりますが、続く章は次回に」と言いました。すると「ええー、読みたい!」という声が複数ありましたが、次回のお楽しみにして、次回に至るまでのところをじっくりと分かち合いました。

 夕方以降は、Yさんとzoomで結んでの聖書の学び。いつも2時間があっという間に過ぎていきます。一緒に聖書を読んで、私も大いに励まされています。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックすると、メッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

Where:罪人の世界に生まれた

 アドベント第1週に入り、今年は「クリスマスの5W1H」というテーマを分かち合います。聖書に出てくる人々は、みな罪人です。傷があり、痛みがあり、時に、居場所を失い、失敗や後悔をひきずっています。主イエスは、愛を無くし、争いがある、嫉妬がある、妬み・憎しみがある、そんな罪あるこの世に、罪ある私たちのところに、わざわざ来てくださったのです。これでもかと記されている罪人の系図に、わざわざ連なるために生まれたのです。

 「義人はいない、一人もいない」というこの世界、私たちも罪人です。罪のゆえに心が固くなり、臭くなる、馬小屋のような心。自分でさえも嫌になってしまう自分の罪、相手の罪、この世界の罪。主イエスは、そんな私たち罪人のど真ん中に生まれてくださったのです。

Why:私を救うために生まれた

 何故、救い主がわざわざ罪の世界に生まれたのでしょうか? 私たちが救いを必要としているからです。みな罪人で、私もそうです、いや私こそなのです。言えないこともいろいろあります。そんな私を救うために生まれてくださったのです。主イエスが誕生したのは、一時的に元気が出ること以上のものです。

 暗いものを持つ人に救いの光を与えるため、救うために、命の光を与えるために来てくださったのです。溺れている人は、溺れている人を助けられません。自分も溺れているからです。罪人は罪人を救うとはできません。神の子であるイエス・キリストだけが、どんな罪からも、大きな傷みからも、私たちを救い、癒やし、立たせてくださるのです。既に主イエスを救い主として信じている方も、救われ続けていくのです。救いの恵みは深まるのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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