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【#10】 目が開かれて(メッセージの断片集3)

献堂73周年記念合同礼拝

日曜日の午前
 10月23日の主日礼拝は、川崎中央福音教会の献堂73周年記念礼拝にオンラインで招かれ、川崎、北見、紋別と結んでの合同礼拝となりました。私は北海道在住なので、遠距離ということもありますが、コロナ禍だからこそ礼拝をオンラインで結んで捧げられるようになりました。恵みですね。

日曜日の午後
 幸いな礼拝後、午後からは清里町に出かけ、オホーツクブランチ礼拝を捧げました。B一家も一緒に集われ、主の大庭にいる幸いな1日となりました。集会後にいただいたお手製のそばの美味しかったこと!皆さんと一緒に食べるからこその美味しさもありますね。以下は礼拝メッセージの断片集です。

▲ 温かいそばをいただきましたが、冷たいそばも絶品でした!

川崎と北見と紋別の共通点など

川崎と北見の教会 
 川崎中央福音教会の献堂73周年記念礼拝おめでとうございます。北見と川崎の教会はつながりがあります。S姉が川崎出身ということ、また川崎で長い間伝道者として歩まれたS先生ご夫妻が北見にも、紋別にも訪れてくれています。そして現在のY先生ご一家が宣教師として北見にも巡回してくださり、大いに励まされました。また私自身は、S先生とは浜名湖の断食祈祷聖会で祈祷団の一員としてご一緒し、共にリバイバルのために仕え、祈ることができました。

▲ 「教団ニュース アッセンブリー」(1980年1月号より)

川崎と紋別の教会
 また紋別の教会は開拓当初、H宣教師が天幕伝道をされ、良い働きをしてくださいました。川崎中央福音教会も、その前身である川崎ペンテコステ教会時代、イギリス出身のD宣教師が開拓伝道をされました。紋別も川崎も、教会の初期において、宣教師による大きな働きがあったという共通点があります。当然ながら宣教師の背後には、その本国の教会、多くの方々の祈りと支えがあります。
 さらに言えば、今年の全国ニュースで、紋別市と川崎市が話題になったのをご存知でしょうか。ふるさと納税に関するニュースで、紋別市が納税寄付額全国第1位(約153億円)となりました。紋別のホタテは大きくて、カニも大人気で、紋別市の財政が大いに潤いました。

▲ 令和元年は56億円、令和4年は97億円

 一方、川崎市は、本来川崎市民が治める税金が入らず、ふるさと納税による税金流出は全国4位となりました(約97億円)。しかし上位の3都市は地方校税をもらっているので、実質は川崎が全国1位なのです。ふるさと納税による収入が全国1位の紋別市、流出額が実質全国1位の川崎市。私は北見市民ですが、紋別市民に代わりまして、川崎市民に御礼を申し上げます。私はこう思います。川崎市民は、受けるより与える側に立っていると。「人を潤す者は自分も潤される」(箴言11:25)とありますように、献堂73周年を迎えた川崎中央福音教会は、くるぶしまででも膝まででもなく、泳げるほどの豊かな聖霊の恵みに、ますます潤されていくことでしょう!

主イエスの名を呼び続ける

 エリコの街を出たすぐその道端に、多くの盲人が物乞いをしていました。ずらーっと並んでいるその中で、バルテマイだけが主イエスの名前を呼びました。つぶやいたのではなく、目が見えない自分の人生を最悪だと恨んだのでもありません。目は見えないけれども聞こえるその耳で、信仰をもってしっかりと主イエスのことを聞きました。目は見えないけれども話せるその口で、ダビデの子主イエスの名前を信仰をもって呼び続けたのです。

▲ 画像をクリックすると250字のエッセンスを読むことができます。

 Y先生が北見に来られて海外宣教祈祷会を持った時、教会が揺れているのを感じました。使徒行伝の時のようだと思っていたところ、何とあの大きなY先生が会堂の柱に体を揺らしながら祈っているではありませんか。まるでサムソンのように感じました。築60年以上の建物が壊れたら大いに困りますが、霊的な壁は壊されなければなりません!信仰を持って主の名を呼び続ける賛美と祈りの中でこそ崩されていくものがあります。
 バルテマイの出来事はエリコという街でなされました。旧約聖書によると、エリコはかつて難攻不落と言われた大きな城壁がありました。ヨシュアとイスラエルの民は、角笛を吹き、信仰を持って大きな声を上げた時、その城壁は陥落していきました。私たちも信仰を持って主の名を呼び続ける時、難攻不落の壁が崩されていくのです。そう信じて、献堂73周年を迎えた主の教会は、ますます賛美と祈りの声を大きくしていこうではありませんか。その時、私たちの霊の目が開かれて、主が共にいること、主の軍勢が、主の御手が私たちの人生を、教会を支えておられることを見ることができるのです。

▲ ヨシュア記6:20

この目で見させていただく

 「全世界に出て行こう」と賛美をしました。私たちの周りに、主イエスのことが見えないバルテマイのような方々がおられます。主イエスは「あの人を呼んできなさい」と弟子たちに言われ、弟子たちは主イエスの言葉に従っていきました。私たちもこの主の言葉に従いたいのです。

 今朝、私たちにも同じように「あの人を呼んできなさい」と示されている方々がおられるはずです。「心配しなくてもいい。あなたの名前を呼んでいる主イエスがいる」と、私たちも主イエスを見失っている方を、主イエスのもとに連れて行こうではありませんか。「一緒に祈ろう、一緒に賛美しよう、主に近づこう!」と声をかけ、主の教会に、主イエスのもとに連れていこうではありませんか。そして「あなたは笑うようになる」、主イエスが救いと喜びを与えてくださる、一緒になって喜び合う、その日を、この目で私たちは見させていただきましょう。

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