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センターポールアスリートとの出会い⑨ ”アニキ”と呼ばれる男。石川丈則

前回までのお話

堀江さんはソチパラリンピックの出場権を決める最終予選に出国。
私は、堀江さんから紹介してもらったオジサンアスリートの試合を観に東京体育館に向かいました。

はじめて訪れた東京体育館

どうやらその”オジサン”は車いすバスケットボールの国民体育大会に東京代表として出場しているとのことでした。
国民体育大会、通称”国体”はアマチュアの最高峰を決める大会といっても過言ではない格式の高い全国大会です。
私も北海道代表として一度だけ出場したことがあるのですが、パラのカテゴリーも国体があるとは知りませんでした。(ちなみにパラのカテゴリーがあるのは夏季大会のみで冬季種目はありません)

東京の千駄ヶ谷駅目の前にある、東京体育館は綺麗で大きく洗練されていたので感動したのを覚えています。
はじめて訪れる施設でしたので、勝手がわからず受付で案内していただいてから、二階席から試合を観戦しました。
観客は都内ということもあってか、まばらではありましたが結構入っていました。
はじめて生で観戦する車いすバスケットボールは圧巻でした。
動画や車いすバスケットボールを題材にした漫画”リアル”を見ていたので、大体のルールや仕組みは理解していたのですが、目の前でプレーをする選手はパソコンで見る情報より、漫画で見るより、人から聞くよりも何よりも衝撃的で迫力があったのです。

”オジサン”の肘フェイダウェイショット

東京代表の”オジサン”を2階から探すと、居ました。
小柄ですが丸太のような腕をした”オジサン”は障がいのクラスが重たい1.5点のローポインターですが車いすのスピードは抜群で、チームメイトのアシストで息の合ったプレーです。

ローポインターは自らシュートに行くことは少ないのかなと思いきや、”オジサン”はチャンスがあればシュートを放ちます。
そして、ゴール前でボールが渡り、相手選手もシュートを防ごうとディフェンスに行くと、”オジサン”はボールを膝に抱えたまま、肘でタイヤを操作してディフェンスを避けてからそのままシュートを放ちました。
これが堀江さんが言っていた”肘フェイダウェイ”です。

後から話を聞くと石川選手以外にもこのテクニックを使う選手はいたそうなのですが、巧みに車いすを操作してプレーする姿に感動しました。
試合後、事前にやり取りしていた番号で連絡を取ってから挨拶へ伺いました。

間近で見る”オジサン”は石川丈則さん。
初対面ということもあり、そこまで話し込めなかったので、後日改めて時間を作ってもらうことになったのです。

6時間耐久居酒屋デスマッチ

石川丈則さん。チームメイトからは”丈さん”だったり”アニキ”と呼ばれています。
丈さんは、土木関係の会社を経営していて、仕事とスポーツを両立している選手でした。
場所は丈さんの家から最寄りの駅となりました。

こういった真面目な話は、普通であれば喫茶店などで会うのが普通です。しかし丈さんに指定されたのは居酒屋でした。
お腹空いているので食事に誘ってくれたのかな?とも、思いましたが、違いました。会って開口一番に
丈「田中さん、(酒)行けんの??」
どうやら、飲みたかったようです。

私は当時、起業してからは異業種交流会や、お付き合いの飲み会で鍛えられています。そこそこ自信がありました。
(田中心の声)「フム、望む所です。その挑戦状受け取りました。」
居酒屋での打ち合わせ(一騎打ち)が開始です。

丈さんとは10歳ほど離れているのですが、話が好きで、幼い頃の話や車いすバスケットボールを始めた話を沢山教えてくれました。

丈さんは二分脊椎という生まれつきの障がいで、幼い頃は松葉杖を使って生活していたそうです。
当時は”バリアフリー”という言葉も浸透しておらず、トイレも洋式トイレではなく和式トイレばかりで苦労もあったそうですが、丈さんはひょうきんなキャラでクラスの人気者。スポーツが大好きな少年だったので、友達と野球やドッチボールを日が暮れるまで遊んでいたとのことでした。
「どうやってドッジボールやるんですか?」と尋ねると、丈さんは
「ケニーって映画あるでしょ。同じようにスケボーの上に乗ってやるんだよ、ガチンコでね」

バスケを始めたのは25歳

そんな丈さんでしたが、車いすバスケットボールを始めたのは意外と遅めの25歳でした。
何故、車いすバスケットボールを選んだかを尋ねると、
今まで松葉づえで生活していた丈さんにとって、スポーツ用車いすのスピード感は今まで味わったことのない感覚でスピードの虜になったからというものでした。

「本当に始めたころは下手くそでね。試合なんて出れない暗黒の時代が4年あったんですよ。初めて出た試合なんて1分間で3回もファールしてすぐさまベンチに戻されたんです。」

バスケの事は良く分かりませんが1分間に3回のファールするなんて聞いたことがありません。

「だけどね、田中さん。俺は先天性の障がいだったので、これまでは何をやるにもハンデがあったんだよ。でも、車いすバスケは同じ土俵で戦える。
それと何といっても、練習の後に飲むビールが最高に旨いんですよ。」

そう言って丈さんはジョッキに入っているビール飲み干しました。

「お姉さんビールおかわり」
ジョッキを持つ腕がたくましい。オーダーも力強い。

「38歳の時に初めて日本代表に呼ばれて、昔から憧れではあったけども年齢もオジサンで諦めかけてたから頑張りたいんですよね。
俺ね、子供が二人いるんですよ。今はまだ小さいけど大きくなったらさ、『お前の父ちゃんなんで車いすなの?』って周りにも聞かれるじゃないですか。その時に『父ちゃんは車いすバスケットボールでパラリンピック出たんだぞ!』って誇ってもらいたいんですよ。だから、今のチャンス掴みたいし、今はそれがモチベーションですかね。」

めちゃくちゃカッコよくて、丈さんの事を”オジサン”と思っていた自分を恥じ、”アニキ”と呼ばれる理由が良く分かった気がしました。

丈さんとは趣味の話も意気投合してお酒は進み、6時に入店したのが時計の針は12時を指しています。
記憶が非常に曖昧ですが、相当飲みました。
途中で何度か別の意味で込み上げるものがありましたがそこは我慢しました。
この居酒屋での一献で、丈さんもサポートさせていただく事となったのです。

別れ際は熱い握手を交わした後、丈さんは車いすで軽快に帰り、私は角に曲がるのを確認した後、すぐにトイレに駆け込み、込み上げるものを抑えきれず夜空にロマンチックな虹を掛けました。

6時間の死闘でした。またいつかリベンジしたいと思います。


つづく