見出し画像

「い」と「ま」の間に僕は夢を見る

今日はnoteに何か書いてみよう。と言いつつ、まだ何を書くかは決まっていません。その状態でなんとなくキーボードを叩いています。

この文章自体は、今まさにキーボードをカチカチと打った結果、現れた文章ですが、いざインターネットのどこかにアップするとなると、少し前に書いたものなんですね。


つまり過去の話。

というか、この文章も、という「この文章」という文字もすでに過去に私が打ったものになってしまっているのです。

つまり「今まさに」なんて言っときながら、その「」はすでにずいぶん過去になっているということですね。

だからなんだ? と思われるのも至極もっともです。私も、だからなんだお前(自分のこと)?と思って書いているのですから、ご安心ください(何をどう安心するのだ?)。

でも、そう考えると、「今考えていることを話すと」なんて言ってしまった日には、困ったことになります。

今考えていることはすでに過去に考えたことですから、こういう場合は「ほんのちょっと前に考えていたことを話すと」と言い換えないといけないでしょう。

でも、これ、ニュアンスちょっと変わっていませんか? ニュアンスというか、伝わる印象が違っている気がします。

うーん、そうなると「今考えていたことを話すと」が良いのでしょうか。
」の定義を考えると、「考えていた」と過去形になることに、一抹の不安(誰かにツッコまれやしないかという不安)を感じざるを得ません。
(ちなみに「ざるを得ません」はつい使いたくなるフレーズのひとつです)


ここでちゃんとひと呼吸置いて、それはつまり自分の打っている文章に責任を持って、なにかしら導き出すのが、noteに(コラム的なことを)書く身としての責務のような気がしますが、いったんつらつらと書き出したこの文章を、うまくまとめようとするまじめな姿勢が私にはございません。

読むだけ時間の無駄だよお前(読者)さん、と私の中にひそむSっ気が冷たい目つきを伴いながら言いたいような、そんな気もするようなしないような、そんな感じです。

だからなんだ? と思われるのも至極もっともです。わたしもだからなんだお前(自分のこと)?と思って書いているのですから。

と、つい十数行前で書いたことをコピペ的に繰り返して読者を煙に巻いてしまおうかと、そんな気もするようなしないような、そんな感じです。


そろそろ怒られそうな(誰に?)に気もしますので、そろりそろりと終わります。


終わったことや、これから起きることについて、あれこれ考えるよりは、
」に近いところのことを感じて、あるいは意識して、生きるのが良い気はしますよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?