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【小説】 ポップン・ルージュ 8

ケーサツで出会った笠ノ場警部の勘違いからボク(主人公)は逃げ出すことになるが、途中で撃たれてしまう。目が覚めると知らない所にいるボク。さまよい歩いた先にたどり着いた場所は (おふざけ小説ですのでご心配なく?)

以前の話を読みたい方は、以下のマガジンからどうぞ


その8

 ケーサツの前の広い道に出て大きな桜のような木の横を通り過ぎ、わき道に入りました。やっぱり逃げるのは得意なようです。父の影響に違いありません。
 
 父は、ボクが小学生のとき、豚の形をした陶器の貯金箱に入っていたボクの三百六十四円を、こっそり貯金箱の中から出して廊下の床に置き、「あっこんなところにお金が落ちているよ。なんてラッキーなんだ」と言って持っていこうとしたところを母に見つかり、「ドロボー親父!」とののしられ、家から逃げ出し、そのまま帰ってきませんでした。

 今もどこかを逃げ回っているのかもしれません。分かれ道に出くわすと、より広いほうの道を選んで逃げるようにしました。細い方の道へ行けばダイエットに成功することは分かっていましたが、逆に広い方へ行くことで自分が大きくなれるのでは、と考えたからです。体も大きくなって逃げやすくなり(歩幅が広がるはずだから)、ついでに人間としての器も大きくなるんじゃないか、と考えながら道を選んで逃げました。


 しかし、実際は広い道に出るたび、自分のちっぽけさに気づかされることになり、どんどん落ち込んできてしまいました。

「どうせ俺なんて虫けらさ。誰かに親指と薬指でつぶされておしまいなのさ」 

 虫けらの「けら」って何だろうと考えだしたところ、急にお父さんのことを思い出しました。お父さんごめんなさい、三百六十四円なんてちっぽけなことをいつまでも根にもって今まで生きてきてしまって。角をまがるたび、ひょっとして父に会うんじゃないかと淡い期待を寄せながら、謝る心積もりだけはしっかり準備して、頭を低く下げて進みました。

 でも、自分が老人になっているということは、もうお父さんはこの世にいないのかもしれません。家を出た後、どうやって過ごしていたのでしょうか、お父さん。ボクの三百六十四円は、何に使ってしまったのでしょうか、お父さん。

 ときどき後ろを振り返って、追っ手(もちろんケーサツの人です)が来ていないか確認しますが、それらしき人はいません。気になるのは、ボクの頭の上、数メートルの所に小さな丸い物体が浮いていることです。クルクルと回りながら、時々ピカッと光ります。手の届かないところにいるその物体は、まるで誰かに僕の居所を知らせているようです。

 でも、今、この僕を探している人なんかいるのでしょうか。青春時代を道路で寝たまますごし、大人の自覚を感じることもなく、年老いてしまった今の自分を気にしている人がいるのでしょうか。
 
 どこかで、誰かがボクを必要としているのかも、とその相手を勝手にかわいい女の子にして、ニヤニヤしていましたが、その女の子の顔が、笠之場警部の顔に変わり、その後息子のスネ君の顔に変わり(ほぼ一緒の顔です)、ああ、ボクは今ケーサツに追われてるんだった、きっとあの物体は、ケーサツにボクの居場所を教えてるんだ、と気づき、進めていた足を止めました。


 そもそもボクは、なぜ逃げているのでしょうか? そんな疑問が現れます。でも、その疑問に答えるよりも先に、あの物体から逃げなくては、というあせるような気持ちがボクの中にわき上がっています。とりあえず、気持ちの問題から、と思いたち、道路に手をつき、そしてそのまま身体を道路に横たえました。

 自分の手のシワに目が行き、あらためて年が流れていたことを実感します。涙が出そうです。いけない、気持ちの問題から、と思ったばかりじゃないかと、自分は地面すれすれを舞う砂ぼこりだと自分自身に言い聞かせます。ボクは砂ぼこり、風に吹かれてサラサラと流れていく砂ぼこり。

 ボクのことは気にしなくていいですよ、と空にある物体に伝わるように念じます。しばらく砂ぼこりを演じた後、今度は風で流されるコンビニのビニール袋だと、自分に言い聞かせ、少し移動してみました。ボクはコンビニのビニール袋、ちゃんとリサイクルしてくださいよ、と思いながら、捨てた人に対する不満を表すように動いてみます。でも、空に浮いた物体は、ボクの動きに合わせて、ついてきてしまいます。


 このままでは、ダメだな、と寝転んだまま前の方を見ると、通りの向こうに大きな木が集まっている所が見えました。そこで今度は、乾燥した草の丸い塊(西部劇で転がってくるやつです)のつもりで、前転を繰り返しながら、その場所へと近づきました。

 前転は、以前、地球の自転に逆らって生きていた頃に、何度もしていたので身体がおぼえていました。ただし、気持ちの問題として、どこまで乾燥した草のように枯れた感じが出せるかに注意しました。

 木が集まっている場所は公園でした。公園の中にはいると、中央には小さな池があり、柵を挟んで大きな木が並んでいました。池に近づき中をのぞくと、池の中には、水はなく、キラキラ光るセロファンの様なものが敷き詰めてあります。逃げてきたあの建物の中にあったピカピカ光る椅子を思い出しました。池に水がないのは、エコってものでしょうか? それともこの時代には、水は枯渇してしまっているのでしょうか? 

 池の横を過ぎると、二つ並んだブランコのようなものの横に、丸く囲われた砂場がありました。

 わーい。砂場だ、砂場。ボクは砂場が好きなんです。砂場にはとてもいい思い出があるのです。小さい頃(子供の頃です)、誰もいない砂場を掘っていたら、小さな陶器のかけらが出てきて、そのあとそのかけらがちょうど合うような大きな壷が出てきました。その壷には、人間のような、動物のような絵が描いてありました。

 家に帰ってお父さんに見せた所、どうやら大昔の土器だということになり、専門家を呼んで調べてもらった所、今まで日本では見つかったことのない時代のものらしく、その砂場は大々的に発掘調査され、ピラミッド形の古墳が見つかり、スフィンクス形の土偶が見つかり、西ヨーロッパ系の日本人の祖先の骨が見つかり、日本の歴史が見直されることになったのです。その古墳にはボクの名前がつけられました。スフィンクス形の土偶キーホルダーを親戚一同で作って一儲けしました。

 でも、デザイン的にはボクのオリジナリティを出して、スフィンクス形のマーライオンキーホルダーということにしておきました。そんな思い出です。そんないい思い出です。

 でも、お父さんは、日本史の教科書を作っている先生たちから大変な嫌がらせを受けたようなことがあったようです。今思えば、ボクがその先生たちのプライドを傷つけてしまったのでしょう。

 そんなことを思い出しているうちに、ボクは知らぬ間に砂場に入り、手で砂をほじくり返していました。

「子供の頃はよかったなああ。 日本の歴史をひも解いてええ」

「子供の頃はよかったなああ。 土偶のキーホルダーで一儲けええ」

 当時作詞作曲した曲を思い出し、思わず口ずさんでいました。意外と良いメロディです。でも、当時すでに子供の頃を振り返っちゃってます。


 手で砂場の砂をほじくり返すスピードはどんどん加速し、いつの間にか身体の半分くらいは、砂に埋もれています。その時です。急に周りの砂が動きだし、身体がズルズルと砂場の中に吸い込まれていったのです。

「子供の頃はよかったなああ。砂場に吸い込まれてズルズルルうう」

新しい歌詞が浮かんだ瞬間、スポッという音とともにボクは砂場の砂の中に取り込まれてしまったのでした。


 スポポポポッ。

 ドサッ。


その9(さいご)に続く


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