期待に応えるか、否か
何せタイミングが悪かった。
人の気配に気づいていたというのに。
あの匂い。自然界には存在することのない、幾ばくかの背徳さを含む甘美な香り。
気づいたらその円盤状の食べ物を一口で飲み込んでいた。
ビスケットという人間の食べ物だということは後で知ったことだが、その硬さが時間が経ってしまったものだったせいなのか、飲み込んだ瞬間、喉のところでそのままの形で留まってしまう。
「ねえ、あれ何?」突然人間の子供の声が聞こえる。
「あ、ツチノコだ!」別の子供から恐怖の宣告が告げられる。
あわてて木の根の隙間に隠れ、気配を消す。
「やったーツチノコだあ!」
「ツチノコどこ行った~?」
好奇心たっぷりの無邪気な声が聞こえなくなるまでじっとしてから、そそくさとその場を去る。
そして数日経った今。目の前には一枚のビスケット。
そして声が聞こえる。
『ねえ、お兄ちゃん。ツチノコ出てくるかな?』
『うん、きっと出てくるよ~!』
頭の中にはっきりと残る、あの時と同じ人間の子供の声。
ここで子供の期待に応えることは、彼らをだまし、蛇である己のアイデンティティをも欺く行為。
でも。
子供たちのキラキラとうるんだ大きな瞳を前に。
どうする自分。
※年賀状に書いている、干支をテーマにしたミニミニ小説です。
今回は巳(へび)がテーマです。自分も期待に応えられる人になりたいなと思います。
いやそもそも期待される人にならなくてはいけませんね。