見出し画像

恋愛マッチングを拗らせた自己分析

今日も相棒の脳乱が仕事をやり過ぎてダウンしてしまったので仕事がノらずにnoteを書いている。アーカイブにどんどん出てくる論文を刷って読んだらいいし、本当にやるべき仕事が無いのかと聞かれればいっぱいある。新しい技術を勉強しなきゃいけない。

昨夜5年ぶりに会った学友との話はTwitterに結構書いてしまったので、マッチングの話をしたいと思う。

安定結婚問題

50年ぐらい前に数学者が結婚することを数学的なモデルとして考える問題を作った。この問題では各個人は結婚しない選択肢を含めた『優先順位』を設定する。一斉に結婚することを考えるモデルで、付き合うとか誰と誰が先に結婚するとか時間の概念は薄い。

この問題設定はとても面白くて、なるほど、と思える性質が結構出てくる。しかし、数理モデルから論理的に導かれる解を受け入れるためには前提になった条件を受け入れられるかが大事になる。『PならばQ』が正しいとわかった場合に、Qを現実として受け入れるためには我々は現実がPであるかを吟味する必要がある。もちろん現実がPであってもQに従う必要はない。多分Qが起こるけど。

このモデルに違和感を共感してくれるぐらい拗らせている人は結構いると予想している。この問題設定の何がこの『正しい』はずの論理的な帰結を飲み込めなくしているのか。

それはそもそも人に優先順位をつける、一人一人のこれから特別な関係になる替えの利かない相手を検討段階では比較可能なものにするということへの抵抗だと思う。人間は全然均質ではない。すごく多様性がある「奥さん」とか「女」とか「男」とか少々異なるラベルやパラメーターが分布に従って付与されていて動きが説明できるわけではない。非常に多様だ。

僕は結婚したことはないんだけど、結婚というイベントによって個人の形質が変化するとはあまり思えなくて、子供や慰謝料という人質を取られて行動が変わるぐらいにしか思っていない。長い間行動が変わると形質が徐々には変化していくだろうがそれは結婚というイベントが直接起こした変化ではない。その論で説明できない例をなかなか目にできない。

その理屈でいくと、比較可能な複数の選択肢を残しておいた上でマッチし、特別な関係という状態に後から変化する、ということになる。しかし相手はそれ以前は比較していたのだ。それは尊敬が足らないんじゃないか、と思ってしまう。そんなもの長い時間を過ごす相手に隠せるはずがない。特に自分と波長が合う人ほど気が付いてしまう。だから元から特別な相手になりうる、いや、そもそも人一人という存在は非常に尊い特別な存在なのだしその人との関係も尊いものだ。と思いながら初めて会う人にも向き合うべきなんじゃないかと思ってしまう。

しかし現実世界でそんな価値観で過ごしていると裏切ったもの勝ちの恋愛市場ではドンドン裏切られて弱者になってしまう。去年いくら稼ごうと、論文を何本アクセプトされても、資本主義市場や労働者市場でいくら強者であってもだ。(出血)

アプリの画面上に現れる、検索クエリに依存する確率分布から現れた換えの利くアカウントにそれらしい文字列を送信して会う。就活のように『手持ちの駒は後いくつだ』と言いながら『掛け替えのない相手』を探す。

僕は就活はその時その時に気に入った一社づつしか受けたことがなく、本音で「第一志望です」と言いながら3社受けた。もちろん不景気だったし内定切りを食らって自信のない学生を取るはずなく全部落ちた。

いわゆる大企業の新卒での就職活動ならいくらでもお互いに換えのきく関係であって、特別な関係ではないから、お互いに「手持ちの駒は後n個だ」と思いながら相互に演技をしてOne of themへの行動をすればいいだろう。

僕が今社員として働いている会社との出会いは、脳乱と現在の環境把握がなされた企画と500円サーバーで走る自然言語での機械学習システムのプロトタイプを抱えて本気で『現在日本で僕らの野望が実現するのは御社しかいない』と言いながら営業に行き買収され、社内で継続開発をしている。

僕もリソースやリスクの管理がまだあまり得意ではなく、脳乱とのスタートアップを始めた時も、留年したサークルの後輩の物理学徒達とやっている今回のスタートアップもそうだ。自分の中に強烈な正義があるが、加減を知らない。そうじゃないとスタートアップなんて始めないだろうし、仕事も恋愛ももっと「上手に」に世渡りしているだろう。

さて、どうやって恋愛や結婚に適切なだけリソースを割き栄え、個人や大事にしているコミュニティとしても栄えていこうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?