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死が二人を分つまで

最近帰りの遅い夫は、寝不足なのか隈が目立つ。深夜の帰宅、ベッドに崩れ落ちるようにして、既に寝ている私への配慮もない。それでも私は笑顔でおかえりと言い、黙って夫の頭を撫でるのだ。

コトコトと鍋の蓋がダンスするように蠢く。湯気を立てながら。今日は寒いからシチューが良い。夫の好きな料理のひとつだ。脛肉の塊をホロホロと箸で突いて食べるのが好きなのだ。圧力鍋を使わずに長時間煮込むこと、それが愛情。

電話が鳴る。今日も遅いとだけ告げて夫は仕事に戻って行った。周囲を配慮した小さな声で早口で、いつもそれだけ告げて切ってしまう。私の反応は求めていない。でも私は夫のために温かい食事とベッドを用意する。

ひとりで食事を済ませたら、粗熱のとれた鍋を冷蔵庫にしまう。深夜帰宅しても食べられないだろうから。明日は休みだから、ブランチにパンを添えて出そう。隠し味に愛情を振りかけて。

何故こんなことになったのか。夫は痩せこけた顔で私を恨めしそうに見ている。冷たく硬い手錠の感触。男に引きずられるようにして私は玄関を出る。近所の人が私を見ている。「旦那さんを殺そうとしたんだって、砒素らしいわよ」。


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