テイク&テイク
気分が落ち込むたびに思うのは、自分は環境には恵まれている方だということです。
両親とは性格が合いませんが、体の弱さで色々な病院にかかりながらも十分な生活をさせてもらっている上、小さい頃は習い事をいろいろさせてもらっていたのでお金をたくさんかけてもらいました。友達、先生、周囲にいる人間はみないい人が多いです。自立していて立派で素敵だなと思います。それがとても苦しい。
元気がなかった時に母が夏バテだからと精のつく食べ物や高い栄養ドリンクを買ってきてくれました。最近はおそらく学校の仲良くしてくれる友達にも不調がバレており、今度ここに遊びに行こう!とかご飯食べに行こう!とか楽しい提案をたくさんしてくれます。気にかけてもらえて、すごくありがたくて嬉しいことだと存じています。ただ、これだけたくさんの物をもらっているのに未だに元気になれない、相手の望む自分になれないことがつらいです。
話しかけられて一瞬リアクションが遅れる、気づいたらぼーっと何も無いところを見ている、相槌のテンポが悪い、そういうときに一瞬困った顔をされると本当に申し訳ないです。
弁当と水筒を洗い忘れる、スカートをハンガーにかけない、体操服を洗濯かごに入れ忘れる、気のない返事をしてしまう、母に注意されたことをなんべんも繰り返しては、今日もやっちゃったなーとしばらく引きずります。
人に限らずです。漫画、アニメ、本、音楽、好きな物や趣味がたくさんあったはずで、それに熱中できるから人生は楽しいのだと思います。沢山の好きが人生を豊かにすると信じていますが、最近はあまり心惹かれません。好きという気持ちは確かに残っているのですが、楽しい気持ちがどうにも持続しないのです。わたし自身はそれらに今まで救われていたというのに、ぱっと見放してしまったみたいで。
よく、「推しが生きがい」なんて素敵なことを言っている方を見かけては眩しいなあと思います。わたしは好きな物や人を生きがいにできる程、それらにのめりこめていないのだと思います。そのために頑張れる、なんて思えなくて、それって浅くて、薄情だなって思います。
基本周りに助けられて施しを受けてばかり、この世の原理原則はギブアンドテイクらしいですが、今のところ無意識のテイカーなのです。現状を嘆きながらも向上心のない愚か者を抜け出すことはできない。こんなに貰ってるのになんで何も返せないんだろうって落ち込むといつも、相手の記憶から完全に消えたいなーっていうどうにもならないことを考え始めます。わたしの人生に関わってくれた素敵な人たちの記憶から消えて、綺麗さっぱりわたしを忘れていることを確認してから未練なく生涯を終わらせたい。そういう道具が早く発明されないかなって、無い生きがいを探すとしたらそれが一番だなと思います。
だってもう、21世紀ですから。