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これが人類の最後かもしれないだろう?

もう何年も前だけれど『Automata』という映画にこんなような台詞があった。

当時なんだか衝撃的でそれ以来ずっとどこかでこの言葉に掴まれている。

それまでの自分は、何を考えるにも人類が生き延びることを暗黙の了解としていた。けれど、なぜそう思うのか。人類が人類として生き続けることはそんなにも重要なのだろうか。

我々は人類の次の種族かもしれないだろ。ロボットが言う。人間が我々を作った。そして我々がこの先も人間の意思を継いで生きていく。なんだかその時、素直に受け入れてしまった。

現代の人間の前には、人類の祖先とネアンデルタール人がいた。その前にはジャワ原人もアウストラロピテクスもいた。でも今はそのどれも生きていない。それでも今日こうして人間は生きている。

その人間が数十万年の時をかけて、数学を知り、電気を発見し、コンピューターを創り出した。コンピューターを使いロボットが作られ、人工知能が生まれ、やがてそれは人類の後を継ぐ新たな種族となる。

空想世界の出来事に思えることも、人類はこれまで実際に形にしてきた。これからもそうするだろう。その過程のどこかで、次の種族に命を受け渡す時が来るかもしれない。その種族を人類が生み出したというのなら、それもひとつの進化だとぼくは思える。

長い長い時間の中で起こる進化の過程を今日も生きていると思うと、この一分一秒に心がおだやかにもなりながら、未来が少しだけ羨ましくもあるのです。

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