三宅島の全島避難に学ぶ

(2012年1月22日 栃木講演)
三宅島の全島避難に学ぶ
~長期避難におけるコミュニティづくり~
ネットワーク三宅島 宮下加奈


【三宅島に生まれたら】
・過去1000年に15回(記録のあるもの)噴火
・昭和15年から平成12年の60年間でも4回噴火
→一生に一度以上、噴火に遭う覚悟
・噴火に関する「生きた経験」の伝承
→学校教育だけでなく、身近な人からの口伝え

【三宅島の噴火】
・2000年までの噴火は…
→割れ目噴火により「大量の溶岩流」流出
→大きな被害が出ても短期間で終息地域も限定的
・2000年の噴火は…
→降灰が続き泥流(土石流)の危険性大
→火砕流の発生を機に全島民島外避難
・2000年9月中頃から、火山性有毒ガスが発生
→避難生活は短い人で4年5ヶ月

【避難先は全国各地】(2002.4.1)
3800人の島民が21都道府県に(東京都内に23区32市町村)
青森1 ,宮城1,秋田1,福島4
茨城4,栃木8,長野13,埼玉103
千葉46,東京3327,神奈川116
山梨3,石川1,大阪1,岡山5
山口1,愛媛1沖縄6

【公営住宅の割当方法は?】(仮設という考えがなかった)
・全国避難が発令される前に避難していた人(自主避難者)
→取り急ぎ空き公営住宅へ」
→コミュニティー…無視
  年齢、介助の要・不要…無視(1Fが20代,3F が高齢など)
  土地勘の有無…無視  
  過去の教訓が活かされていない応急的対応のみ

・全島避難指示後に避難した人
→希望聞くも...100%は満たされず
  コミュニティは完全に崩壊

【ばらばらになった島民は】
・心細さや情報取得のために
→各団体ごとに「地域島民会」を結成

2002年避難中限定の「三宅島島民連絡会」を結成

行政と地域島民会の間の橋渡し役も

【必要に迫られて】
・「被災者」っていう人種?
→被災者のあるべき姿って?(高齢者,元気な子ども)
・義捐金や支援金が支給されると…
→善意の報道がとんでもない誤解に発展
どのくらい避難しなければならないか分からない
家に戻った時の為に使わないようにする。でも、
元気を無くすわけにはいかないから散歩や話をする
遊んで暮らしているというイメージがついてしまったことが
・仮設や公営住宅に入り、自立を迫られるが…
島で自営業していた人が、東京で同じように働くのは難しい

難局を乗り切るためにも!
支え合える組織があれば!
→結果、立ち上がるしかなかった

【生き甲斐づくりと島への思い】
支援団体の後押しと住民自らの行動
↳提案して決定は住民
支援団体にどこまでしてもらう?
一生面倒見れる?
戻った後も見れる?

・各島民会の動き
・趣味のサークル活動
・手芸サークル
・料理教室
・グループ活動(花見、忘年会,新年会など)
・避難先での生活支援
・公的書類の記入、情報提供
・声かけ、見守り活動
・買い物などの外出補助

【島民連絡会と支援団体との協力でしてきたこと】

「みやけの風」という通信を週に1度発行

三宅島社協ボラセン
  ↓         ↓FAX
島民会役員    島民会役員
 ↓   ↓コピー   ↓   ↓コピー
住民 住民      住民  住民

毎週土曜の午後に広報配るから集会所へ来てもらい渡す

個別に発送するのは簡単だけど…
配布ついでにできること
・顔の見える関係づくり
・安否確認
・書類作りのお手伝い など

【「心」をつなぐもの】
「あの人」はどこにいるの?
・個人からの申告と地域島民会、社協などの
  保有情報を元に電話帳を作成(当時は個人情報保護法がなかった)
・避難先の住所と電話番号(50音順と避難先別)
・各島民会の連絡先
・行政機関の連絡先など

【電話帳は第1~3版まで】
第1版 2000.10.20
第2版 2000.12.20
第3版 2002.6.20

第1版は完璧を求められていない
→掲載さていない人達から問い合わせがくる
→所在確認が進む
(第1~2版までの期間の短さはひとまずの第1版だったから)
ただし、管理は厳重にしないと信用問題に

【年2回開催の島民ふれあい集会】(計9回までやった)
主催は住民。1回2000人くらい集まる
生活地区ののぼりを立てる
お汁粉,カレー,足湯,くさや,あしたば→思いをつなぐ

・東京災害ボランティア支援ネットワークの協力
・避難団地へのバス配車(ハンディキャップ協会で送迎)
・主催は住民だが、多くの支援団体の協力

【行政からの支援も】
・情報連絡員制度(委託業務)
・職員派遣(見回り)業務
・高齢者支援センター
・島民連絡会活動資金支援
・島民連絡会議への職員派遣
・住民説明会の開催
・災害保護事業     など

・雇用促進事業の活用
「ゆめ農園」「げんき農場」
生活費の確保よりも同じ島民同士顔を合わせ
ひとつの作業(土作業)をすることに大きな意味があった
販売はできなかったがふれあい集会という集会で配ったりした
半年で作業者を入れ替えたので休みになった人が調子悪くなることも

【復興・自立支援=生活・生業支援】
※先の見えない生活 (1年とか分かる範囲なら耐えられる)
・長期避難は生業再開を阻む大きな要因
・生活のためには働かなければならない
・子どもたちの就学問題

結果、世帯として帰島を断念する
家族分離帰島

火山ガスの影響の懸念
書面上の離婚も多かった
東京に住民票を移す

復興を担う人は?
安定しなければ復興を担う人がいない

【住民の努力と行政の努力】
・行政にしかできないこと
・国はもちろん地方自治体の努力と手当は必須
・原発を取り囲む市町村で団結
・連合自治体という考えも
・あわせて、住民が立ち上がる強さも必要
  1人1人の意見は通りにくいが、組織になったら無視できない
→過去の事例から住民にヒントを提供

【復興の前に】

「復興」と言っても現実味がないのが現状
まずは「帰郷(町・村)計画」が必要では?
(この段階ではどういう動きができるかなど)

還りたい気持ち、故郷への思いをつなげておく

既存のコミュニティーが崩壊したのなら
思い切って、限定的でもいいので
新しいコミュニティ作り

【復興とは】

・普通に暮らすこと
→まちに還るだけではない
→自宅に住めるだけではない

日々の生活「くらし」を営むことに意味がある
・仕事をする
・学校に通う
・家庭菜園
・山菜採り
・魚釣り
・貝の採取
・散歩み

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