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ワイヤレスイヤホン

とにかく四六時中ワイヤレスイヤホンを付けている。
寝ている間と入浴中の首から上を洗う時以外、ほとんどの時間付けていて、24時間のうちイヤホンを付けていない時間の方が間違いなく短い。
冗談じゃなく「イヤホンは体の一部です」状態になっている。

常にラジオや音楽等、何かしらの音声情報を摂取していないと落ち着かない。今の時代そういう人は多いと思うが、おそらく一般名詞化していないだけで、ちゃんと病名のあるやつだろう。現代病だ。

イヤホンのこだわりは、再生時間が長いことと、大きくないこと。通勤中や散歩中、歩いている時間は基本装着しているので、大きいと落ちやすいのだ。
音質に関しては、音の良し悪しなんて分からないバカ耳だし、聞く大半が芸人のラジオだから割とどうでもいい。
オーディオテクニカのお気に入りのモデルを色違いで2つ持っている。それぞれ右と左が紛失しているのだが、そのおかげで「さっきまで右で聞いてたから今度は左」と、交互に装着することで片方の耳に負担が偏らないようにしている。今度失くした時は片方だけのを買おうと思う、安いし。

街中でハンズフリー通話をしている人をたまに見る。
大抵ニコニコしていて明るい印象があるのだが、見る度に「イヤホンの電源が入ってなかったらどうしよう」と考え怖くなる。
もちろんそんなことはないと思うが、実際、イヤホンしながら手にスマホを持って独り言を言いながら歩いてても、さほど奇妙には映らないと思う。
ワイヤレスイヤホンにはそういう心の病をカモフラージュする使い方もあるのかと、おそらく開発者の意図していない利用法に感心する。

養成所時代、これを題材にしたコントを書いたことがある。
駅のホームのベンチに座って、故郷の母親と楽しげに会話していた男のイヤホンが実は耳栓だったというもの。
男に母親はおらず身寄りもなく「母親とはこういう会話をするんだろうな」と妄想の世界に浸っているのが唯一心安らぐ時、という設定。怖すぎてボツ。

ワイヤレスイヤホンってバッテリーが切れそうになると音声で知らせてくれるけど、あの機能って必要か?
切れたら切れたで「しょうがない」と思って別の方法で聞くか、あきらめるだけだから別に知らせてくれなくていい。
以前使ってたやつは酷くて、充電が切れそうになると「Battery low」と外国人女性の声で知らせてくれるのだが、それが10回、下手すりゃもっと流れる。
「黙ってりゃもっと持つんじゃねえのか!?」と毎回思っていた。
冷静なトーンで「やばいです、もう限界です」と何度も言ってくるみたいでシュールだった。二度と買わん。

とにかく今の時代みんなイヤホン付けてるけど、絶対耳に良い筈がない。2、30年後には、耳が悪いのがスタンダードになるんじゃないか?
すると、眼鏡のように補聴器が一般的なアイテム化するだろう。
実際、眼鏡が普及したのも、近代以降、知識人達の嗜みであった読書が一般化し、活字に触れる機会が多くなったことが要因らしいから、我ながら信憑性の高い予測だと思う。

街に「補聴器屋さん」が続々出来始めるだろう。すると眼鏡屋さんの「謎の気球」のように「補聴器屋さんあるある」も色々生まれるのだろう。
「検査の前、耳掃除忘れて恥ずかしい」「40歳だけどモスキート音聴けたぜ」
みたいな。店員さんは耳悪くないのに補聴器をしているのだろうか。店のイメージキャラクターは絶対ゾウかウサギだろう。

いずれにせよ、進んでしまった文明は後戻り出来ないから、テクノロジーのせいで耳が悪くなるのなら、テクノロジーでそれをカバーするだけだ。


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