「無」になる!

「無」とは何か?
目に見えなくとも、そこに存在している物質は数えきれない。

だれでも「無」になりたいと思った事があると思います。

物質的な「無」ではなく、精神的な「無」。つまり「悟る」とか「達観する」という、不確定で不明瞭な、個人的な思い込みという満足感を私は求めていた。

そして、思い込みで解決するならそれも正解だと思った。

私も思い込みで「無」の意味を解決した事を書きます。

「無」とは「独楽」のような状態であると思う。
「独楽」は回らずともコマであり、回ってこそ「独楽」になる。
人も「そこに、存在している」だけでは人ではなく、「何かに夢中になっている時」が、人としての存在意義が生まれてくる。
つまり、「無」とは、何かに「集中」している状態のことである。

「悟り」も同じで、「悟った」と思っているだけでは、悟りではない。
その「悟り」を実行、行動してこそ「悟り」なのだと思うに至った。

「無」になりたいと思った瞬間に「無」ではなくなる。
意識は「無」を求める。
しかし、「無」にはなれない。無欲になりたいという「欲」に支配されてしまうのである。

「無」を忘れ、何かに「集中」した瞬間に「無」の境地に自分を置いている。
求めた時には、訪れず、求めなくなった瞬間に「無」に支配される。
人の思考とは、うまくできているなあとつくづく感心させられる。

求めれば、与えられるのであるが、求めなくなった瞬間にこそ「与えられる」のが「無」の境地である。

生活の中に、「無」になれるファクターが、人の数だけ存在するのである。

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