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小正月1月15日に小豆粥を炊くおばあさん  #日本の漢詩

1月15日は小正月、最近ではあまりなじみがありませんが、朝に小豆粥を食べるなどのならわしがあります。

正月十五日、卽事」という七言絶句をみつけました。
江戸時代の1月15日の風景をのぞいてみましょう。

こんな詩です

書き下し文と原文を紹介します。

「正月十五日、卽事(そくじ)」
老婦は   廚前(ちゅうぜん)  粥(かゆ)を烹(に)て成(な)り
新鴬(しんおう)は   檐外(えんがい)  晴(はれ)を報じて鳴く
情懐(じょうかい)   宛(さなが)ら似たり   故田舎(こでんしゃ)に
時に聴く   隣園(りんえん)   嫁樹(かじゅ)の声

「正月十五日、卽事」
老婦廚前烹粥成
新鶯檐外報晴鳴
情懐宛似故田舎
時聴隣園嫁樹聲

訳すとこんな感じ

簡単に訳してみます。

「1月15日のひととき。おばあさんが台所で小豆粥を炊いている。
ウグイスが軒先で鳴いた。晴れたよき日だ。
心は、ふるさとの田舎にいる思いだ。
おとなりさんの庭からは、豊作を祈るおまじないの声が聞こえる。」

老婦は年老いた妻のことかもしれません。小豆粥を炊くのはおそらく朝の風景でしょう。江戸時代の旧暦1月15日は今の2月初旬、ウグイスがちょうど鳴きはじめる季節です。近所からふと聞こえてくる、小正月の風習の声に耳をすませ、江戸で暮らす作者は、ふるさと越後で過ごした子どものころを思い出しているようです。

作者について

館 柳湾(たち りゅうわん)。1762〜1844年。江戸後期、庶民に人気のあった詩人。越後新潟生まれ、江戸で暮らす。役人として働きながら、詩を作った。

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(画像はウィキペディアより「椿椿山・筆 柳湾八十歳」)

永井荷風らにも愛された

明治生まれの作家 永井荷風が、館 柳湾のファンだったことが知られています。

これについて、興味深い論文をウェブ上で読むことができました。館 柳湾の詩の評価の変遷をとおして、江戸から大正にかけて、日本の漢詩がどのように評価されてきたかを知ることができて、おもしろいです。↓

合山林太郎. 永井荷風による館柳湾評価の背景 : 明治期漢詩人の江戸漢詩に対するまなざし. 語文. 103, 2014,  1-13.

気になったことば

・「即事(そくじ)」は、その場のできごと、目の前の様子を詩につくること。

・「新鴬(しんおう)」は、初春に里に降りて来てさえずるウグイス。

情懐(じょうかい):心中のおもい。

嫁樹(かじゅ):かつて小正月に広く行われていた「成木責め」という呪術のこと。柿などの果樹の豊作を祈る。1人が「なるかならぬか、ならねば切るぞ」と唱えて刃物で幹に傷をつけ、もう1人が「なりますなります」と答えて傷口に小豆粥を塗り与える場合が多い。同じ趣旨で、子どもたちが新婚家庭を回って新嫁の尻を打つ嫁タタキの行事もある。(参考:日本大百科全書)

(参考:呂山 太刀掛重男.漢詩の手本 第5輯)




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