これまではお金のある無しに重点が置かれていました。でもこれからは…
数年間、記事の更新を怠っていました。
なぜかというと自分が本当にやりたいことを明確にする為に、修行の道に入っていたからです。
私は密教修行者になり、未だ道半ばではありますけれども、ようやく明確な言葉でやりたいことを表現できるようになりました。
唐突ですが、「功徳を積む社会が実現」しますように非力な私でも何かお役に立つことをしていく
まさか自分が功徳を積む社会を実現できるわけはありません。
もし実現させられるのならアラ還の年齢になるのを待たずにもっとアクションを起こせていたはずです。
仏法を学んだことで、やりたかったことが明確になりました。
これは、本当に心につかえていた数十年間のもどかしさがなくなりました。
苦しんでいた数十年間にも意味があったと思えました。社会の価値観がどうしても馴染めず、どこか違うと感じることがあるなら、仏法を学んでみると良いと思います。
しかも、日本に伝わっている仏法ではなく、タイやミャンマーやスリランカと言った小乗仏教、上座部仏教と呼ばれる仏法を。
上座部仏教にはお釈迦さまが伝えた内容が改変されることなく伝わっているからです。
昭和平成と生きてきて、個人的にお金には苦労しました。世の中では、お金のある無しがその人の人格を一切無視して偉い人として扱われてきました。
しかし、今大変革の時代を迎えて明らかにしておきたいのは、これからの社会では「徳」があるかどうかで判断される世の中になっていきます。
徳とは、他者のために行動することが出来る、という意味を内包している言葉です。
しかも自分を犠牲にすることなく他者のために行動を起こせる意識です。
この他者と言うのは、すべての生命のことを指しています。人間だけでなく犬猫などの動物、魚、昆虫なども含みます。