見出し画像

暦のないコヨム

春分|雀始巣
令和6年3月20日

春分になった。ちょうど3年前の「春分」にコヨムが始まったので,今回の節気にはどこか特別な思いがある。

まもなく迎える雑節「春の社日」には高校からの友人にレターを依頼した。細かいことは省略するが,今年の「春の社日」は3月15日と3月25日が候補となる日だ。レターのリリース日をどちらにするか決めるためにいろいろと調べていると,地球の赤道の延長面を太陽がまたぐ瞬間が重要なようだ。今年の春分の瞬間は12時6分。午後にあたるから後者の3月25日を取るというのが明治時代からの慣例らしい。今まで「春分の日」という一日の解像度しかなかったものが,「春分の瞬間」にまで意識が向くようになり,さらには太陽系の中での地球と太陽の壮大なダンスにまで想像が膨らんだ。折しも第一回目のレターには自分の言葉でこう綴っていた。

さきほどまでの一瞬とイマを分かつ
Δt→0の極限。

日常というのは,365日の積み重ねであり,二十四節気の積み重ねであり,七十二候の積み重ねであり,あるいはΔtの積み重ねだ。天体運動に翻弄されて,うるう日なんていう遊び心のある日さえ人間はうまく見出した。でも実はそんな区切りは恣意的なものであって人生の物語の上では特に意味はないのかもしれない。淡いパステルピンクの香りに震えるほどの感動を覚えたり,こっそりと雀が巣を作り始めたのを誰よりも早く見つけられたことに小さな幸せを見つけたり。不規則で不連続なあいまいさの中にこそ,うつろいの美が宿っている気がする。

これからどんなコヨムに出会っていくのだろう。春分で一巡りしたコヨムの新しい一年,いや,やっぱりそこに区切りなどなく移ろい続けるコヨム。今後ともなにとぞです。

-S.F.

雀始巣

スズメハジメテスクウ
春分・初候

僕たちはどう生きるか 言葉と思考のエコロジカルな転回 / 森田真生

「すべてはいつも起きていたことなのに,僕はそれを半分以上見逃していたのだ。」-p.45

独立研究者である筆者が,2020年のコロナ渦中の四季を綴った美しきエッセイ。日記調で春 / 夏 / 秋 / 冬 / 再び、春と章が進んでゆく。何気ない生命の鼓動,八ヶ月ぶりに髪を切ったこと,そして僕たちはどう生きるのか。暦を感じながらゆったりと丁寧に読む一冊。

カレンダーを眺めてもう3月も終わりかと感傷に浸る。カレンダーさえなかった時代,紀元前3000年よりもっと前の時代にはそんな感傷さえなかったんだろう。自宅の畑のじゃがいもの栽培記録を読み返すと,きっちりと2023年3月27日に植付けたことが記録されていた。ぼちぼち暖かくなってきた。ぼちぼち植付けしてみようか。

参考文献

国立天文台暦wiki|社日 URL

カバー写真:
2023年3月16日 昨年の今頃はブロッコリーが発芽していたらしい。今年はまだ種蒔きさえできていない。


コヨムは、暦で読むニュースレターです。
七十二候に合わせて、時候のレターを配信します。

暦のないコヨム
https://coyomu-style.studio.site/letter/suzume-hajimete-sukuu-2024


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?